28を目前にして思うこと
卒園が近づき、いよいよ小学生になろうかとしている頃。ピカピカのランドセルを手に入れたぼくは、あたらしいにおいがする学習机を目の前にしてこう言い放った(らしい)。
机は、ママのおさがりでいいよ。
木製の椅子にはコロコロもついていないし、本棚はちょっぴりたわんでいるし、色も買ったときよりずっと薄くなっている。けれども、ノートさえ広げられれば大丈夫だと思っていたようで、今でも実家で幼少期の思い出話に花が咲くと、母や祖父母は揃って「あんたは欲しがらんやったけんが」と言う。めっちゃ言う。
学習机に関しては正直そんなに覚えていないのだけれど、「欲しがらない子ども」だったことは何となく身に覚えがあった。
マリオカートは1日20分(しかも朝の登校前)きっかり。家に帰っておやつをねだったことはないし、たまに食べるコアラのマーチも、パイの実も、シゲキックスも、一度お皿にぜんぶ出して弟ときれいに半分こしていた。
「欲しがってはいけない」と思っていたわけではないし、そもそもそういう性格だった。(ここまでの流れだとさも親を困らせない子どもに聞こえるけれど、幼稚園の運動会の練習が厳しすぎて「行きたくない」と駄々をこねたこともありました)
きっと大人たちは欲しがったら買ってくれたと思うし、ぼくが大人になるまで「母子家庭は大変なのだ」なんて弱音も聞いたことがない。本だけは欲しがったら必ず買ってあげるという教育方針のもと、「元気にあいさつをしなさい」とだけ言われながら育ったぼくたちは、どこまでも恵まれていた。
そんな環境で育ったのだからもう少し図々しい子どもに育ってもおかしくなかったはずなのに、とにかく主張をしなかった。どうしてそんな性格だったのかは今でも分からないけれど、何を買ってもらっても、それが「ぼくのもの」だと思えなかったことだけは鮮明に覚えている。
おもちゃもお菓子も、あくまで「誰かがくれたもの」であって、「ぼくのもの」ではない。それが特に顕著なのがゲームだった。
当時の認識は、ニンテンドー64やプレイステーションといった家庭用のゲーム機は「家族のもの」、ゲームボーイアドバンスやニンテンドーDSといった携帯型のゲーム機は「個人のもの」。つまり、ぼくが使っていたゲームボーイアドバンスは「家族から預かったもの」だった。
「ぼくのもの」だと思えないことを悩んでいるわけではなかったので、それを家族や友だちに打ち明けたことはなかった……のだが、小学校6年生になって、友だちの家のクリスマス会に呼ばれたところで事件は起きる。
プレゼント交換で、みんなのソフトを交換しよう!
友だちの1人がそんなことを言った。ぼく以外の友だちは、口々に「いいね!」「おもしろそう!」と気持ちがたかぶる。そりゃあそうだ。
けれども、当時のぼくにとっては一大事だった。
(これを失ったとき、家族になんて言えば…!!?)
もやもやを抱えながらも差し出したソフトはハンカチの中に消え、聞いたこともないソフトと引きかえに二度と戻ってくることはなかった。家族にはまったく怒られなかったけれど、今でもたまに思い出すくらいに引きずっている。
あれから16年。
「成人祝いに」と母から買ってもらった腕時計がすっかり似合わなくなった僕は、28歳になろうとしている。
オシャレってむずかしい。
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