【堺田分水嶺】
我が家もご多聞に漏れず、帰省するはずの息子たちが帰らず、少し気の抜けたようなお盆が
終わった。
家内の勤め先では、県外に行ったときには報告書提出や、まして関東方面に行った時や、そちらから家に来た時には、一週間勤めを休まなければならないなど厳しいお達しがあるとのこと。
当分遠出の旅行は出来ないこともあり、家内のお盆休みの一日を利用してテレビでも紹介していた、山形県と宮城県の県境の町、最上町のJR陸羽東線、堺田駅のすぐ側にある「堺田分水嶺」に行って来た。
通常、分水嶺は山の峰を流れる水が右と左に分かれる場所だが、堺田分水嶺は、奥羽山脈の
中のごく低い所にあるため、標高は338㍍だが平地にある。これは大変珍しいそうだ。
駅の方に向かって流れてきた小さな小川が、日本海と太平洋に分かれていく。そう思うと
何となく感慨深い。
そこから歩いて5分の所に、もう一つの目的である「封人の家」があった。
「奥の細道」の松尾芭蕉と門弟の曾良が宮城側の「尿まえの関」を越えて辿り着いた家で
新庄藩からの命で県境の門番の役目を担っていた庄屋の「旧有路家住宅跡」なのだ。
「封人の家」の呼称は芭蕉が命名したそうだ。
管理人のC鉢さんは、管理人になって13年だそうだが、最初のうちは質問されても
ちんぷんかんぷんでこれでは駄目だと奮起し勉強したとのこと。。
お蔭でとても詳しく、例えば
「松島や ああ松島や 松島や」の句は詠んでない。
「蚤虱(のみしらみ) 馬の尿(しと)する 枕もと」は尿(しと)ではなく(ばり)
「五月雨を あつめて早し 最上川」の〝早し〟は、〝涼し〟だったのを後に直したなど。
C鉢さん、大変勉強になりました。
日帰りだったが、けっこう充実した一日となった。
わが山形県もまだ行ってない良い所があるはず。
コロナは収まる気配がないのでこの機会に県内の〝旅〟を愉しもう。
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