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「でも顔はいい」

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#ちょもす文学賞 というタグがある。

あえて一番悪い言い方をすると、「無許可に名前と画像と金まで使って開かれた無法のイベント」のハッシュタグが #ちょもす文学賞 だ。だから実際僕はほとんど関係ないのだけれど、試み自体は素晴らしいものだと思うし、せっかくなので僕もタグから記事を読みに行っている。

色んな記事がある。文学賞に恥じぬやたら文学的な記事、初心者にとって本当に役立ちそうなことをまとめてくれている記事、はじめて格ゲーを触って楽しくて仕方がない記事、環境を手に入れたら格ゲーがとても楽しくなった記事、おすすめキャラを診断すると必ず全てメイになるヘイト記事、バンデッドブリンガーの異常性をまとめた記事。全部面白い。

気軽に文章を書き出せる環境を作った主催者も素晴らしいし、それに触発されて軽率に文章を書いてくれる人達も素晴らしい。すべてが素晴らしい。ここが光の格ゲー世界だ。ここにはキャラとプレイヤーの悪口ばかり言うネチネチした中年男性はいない。

記事を読んでいて気づいたことが一つあるので、ここに書いておきたいと思う。

格ゲーをはじめる理由

#ちょもす文学賞 には『GGST』や格闘ゲームをはじめる理由を書いている記事がいくつかある。それを見ていて気付いたのは、はじめる理由のどれもが「『GGST』(格ゲー)が面白そうだったから」ではなかったことだ。具体的には曲がいいからゲームもやってみるかとか、友達がやるから一緒に遊んでみるかとか、キャラクターの顔がいいからゲームもやってみるか、そういう理由ばかりが出てくる。

これはすごく重要な示唆だ。つい未経験者や初心者にアプローチしようとする時、僕たちゲームオタクは「ここが面白い!」とか「こういうことができる!」といったゲームシステム的なアプローチをとりがちだけれど、そういうことよりもハッピーケイオスの顔がいいことを連呼したり、『Find Your One Way』を急に歌い出した方が広く興味を持ってもらえる可能性がある。

ちなみにハッピーケイオスの顔がいいことに言及してる記事は複数あり、SNSや配信のコメント欄でハッピーケイオスの気に食わない性能からハッピーケイオスについてネチネチしていた人がいかに機会損失していたかがわかる。これはもちろん自戒も含んでいる。僕が過去遊んでいた『ドラゴンクエストライバルズ』というゲームでは、カミュ(顔がいい)の性能に何回文句を言ったかわからないからだ。

ゲーム内の性能について文句を言うのはある程度仕方がないと思う。真面目にやればやるほどゲーム的な理不尽に会うことが増え、性能への不満は出るからだ。不満が出るのは真面目にやっている証とも言えるわけで、これを正常化せよというのは対戦ゲーマーから言わせてもらえば難しいことだ。特定のキャラクターに腹が立たない対戦ゲーマーなどいない。でもこのことに気づいた僕たちが今日からできることがある。言葉の最後に「でも顔はいい」と付け加えることだ。

「スライムカミュはクソまみれのパチンコデッキ。でも顔はいい。」
「メイ使いは適当にボタン押してるだけで許せない。でも顔はいい。」

幾分マシになる。これこそが、年中ゲームのことばかりでどうしようもない、対戦ゲームオタクに必要な気づかいではないかと思った。性能が許せなくても全てを否定せず、肯定の余地を残す。どうしようもなく対戦ゲームばかりしている世界の人間で籠らずに、別の世界の人間を想像する。

今までの僕に足りないことでもあり、広く世間に受け入れられつつある対戦ゲームのプレイヤーにとって、これから必要になることはこれなのかもしれない。


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