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面白いゲームの「面白くなさ」と集落と運の話

経緯

これを見たらTwitterの引用RTやあれそれに結構厳しめのことが書かれていたので、

と書いた。

Twitterでは書ききれなかった部分とか、誤解を招きそうな部分について補足。

面白いゲームの「面白くなさ」

ゲームには「面白いゲーム」と「つまらないゲーム」がある、という見方をされる時がある。これは間違ってはいないけど正確ではない。現実には「面白くなさを内包した面白いゲーム」も、「面白さを内包した面白くないゲーム」もある。

最近はセンセーショナルな表現が数字に繋がるから、なんでもかんでも0か100かで語られがちだけど、45とか55みたいな平凡なゲームは存在するし、もっと言うなら「この瞬間は100だけどこの瞬間は0」みたいなことも存在する。具体的に言えば僕のソル=バッドガイがHSヴォルカニックヴァイパーをクリーンヒットさせている時は100だし、ポチョムキンのガルダインパクトをガードさせられてる時は0。

ガルドインパクトをガードさせられている誰かが「このゲームは面白くない」と言ったところで、それはそのゲームが0であることを意味しない、と思う。

自分が楽しんでいるゲームを主語をデカくしてさも問題があるかのように言われたり、悪く言われたりしたら不快な気分にはなる。だから文句の一つ二つを言うのは当たり前と言えば当たり前だけれど、それでもせめて「お前が気に入らない」ということのみを言うべきであって、これを努力不足だとかこんな人は何をやってもだめとか、もっともらしい理由をつけて非難するのは間違っていると思う。ただ「お前が気に入らない」でいい。

自分が楽しんでいる『GGST』ですらガルダインパクトをガードさせられている時は面白くないことを考えれば、人が面白くないと言ってることにも寛容であるべきだ、と思う。面白いと面白くないは同じゲームで両立するのだから。

集落と運

Twitterでは歴史あるゲームのある種の「面白くなさ」について着目して、これを突破するには「集落」が必要だ、と書いた。これはどういうことかというと、新しく成立した対戦ゲームやジャンルというのは、その新しさからくる新しいコミュニティであるとか、新しさからなるレベルの低さから継続するハードルが下がることを言っている。簡単に言うと祭りが起こる。新作ゲーム祭り。

祭り期間を経て初心者期間を突破する人間と、祭り期間を通らずに初心者期間を突破する人間では、体感で突破率にかなり差がある。なぜか。お祭り中は適切な対戦相手がたくさんいるし、生の情報がそこら中にライブで共有されているからだ。

一つ僕の中で印象に残っているエピソードを紹介したい。何かと僕よりゲームが上手で、未だに色んなゲームを一緒に遊ぶBさんという知り合いがいる。何をやらせても攻略のとっかかりを見つけるのが上手で、どんなゲームもスラスラと上達していく。

そんなBさんが、例外的にとにかく楽しくなさそうに、日々怨嗟の声を僕にVCで投げつけ、だから格ゲーは衰退するんだとお決まりのセリフをボヤきながらも、なんだかんだ練習しているゲームがあった。『ストリートファイター5』だ。

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