対戦ゲーム界隈におけるアドバイスの議論
対戦ゲームをそこそこやっているとどの界隈にも必ず現れる現象の一つがアドバイスの議論です。ここで言うアドバイスの議論というのは、「大して上手くもない奴がアドバイスするのが腹立つ」の言い換えが蔓延したり、「ゲームのアドバイスを手段として本質は出会い目的の人間」を糾弾するそれであったり、「強いプレイヤーの考えてることの言語化能力の問題」だったり、「本当に必要なアドバイスはアドバイスする側にとってなんら面白くないもの」である事実の確認とか、「コーチングで金を取ってるやつなんなの」みたいな感情を突然メーカー側の気持ちに立って代弁してみたりとか、もうそういうのをひっくるめた全てを指しています。
それらを解決したいという気持ちも大してないのですが、ここでは僕が数多の対戦ゲームを20年近く遊び続けて観測してきたことと、今僕が思っていることを書いています。誰かが何かの役に立ててくれたらそれはとても素晴らしいですが、特に何の役にも立たないかもしれません。
立場の逆転とミスマッチ
常識的に考えると、「師弟関係」なんて言葉がある事実が示すように、教える側は教えられる側より偉いということに世界ではなっています。誰かに何かを与える方が偉いというのは至極当然です。しかしことゲーム界隈でのこの手の議論が起きるときに限っては、僕はそんなことないのではないかと常々思っています。これはつまり、教えられる側の方が教える側の方より偉く、へりくだるべきは教える側ではないかと僕は考えています。
偉い……というと誤解があるのかもしれませんが、需要と供給の文脈から考えてみましょう。稼働から数年経ったゲームタイトルにおいて技術を人に伝えたいと思う人の数に対して、人に教わりたいと思う人の数は明らかに少ないです。それは初心者プレイヤーが配信をはじめた時に殺到する聞いてもいないアドバイスのコメントを見ていれば明らかです。そういう状況をたびたび観察していると、一つのことに気づきます。彼らは何かを教えたくて仕方がないのに対して、初心者の側は別に教えてもらいたいとは大して思っていません。
教えたい側のモチベーションははっきりしていて、自分が積み重ねた何かを共有したいという気持ちもあるでしょうし、あるいは人に尊敬されたいという気持ちもあるでしょう。性格の悪い見方をすれば、唯一の誇れる技能を使って気持ちよくなりたいという見方もあります。これは何も特定の誰かをバカにしているわけではなくて、十数年前の僕が実際にそうでした。
当時は「三国志大戦」においてゲーム内のランキングが二桁に到達し(余談:ゲームのオタクはここで「二桁w」みたいなことを言うのが本当によくない。数万人~数十万人のプレイ人口のゲームで二桁は十分に強く誇っていいのですが、この話は長いので割愛)、ここから上の人間達の戦いに食らいつくには今まで以上に多大な努力が必要な一方で、今ある知識で気持ちよくなるには努力が必要ありませんから、強さを求めるよりも楽に気持ちよくなる手段として、人にアドバイスをするという選択肢を取っていた時期があります。
なんだか情けないような気がしなくもないですが、僕はこのこと自体をまったく否定していません。すべてのプレイヤーが最強を求めて戦い続けるべき、それこそが美徳であるというのは漫画の読みすぎで、漫画の主人公と違って、現実的には全てのプレイヤーが最強になることはありえません。
自分の持ちうるリソース、つまりはモチベーションとか努力とか才能だとか、ゲームに打ち込めるだけの実家の太さとか、どういう知り合いに巡り合うのかとか、そういうのを全部ひっくるめて一番噛み合った人間がゲームで最強になると僕は思っていて、そういう運否天賦のものを参加者全員が一意に目指している状況はむしろ異様です。その異様な状態にこそ情熱があり、感動があることも確かです。僕たちは物語を求めています。しかしそれは残酷な話でもあって、プレイヤーを一人の人間として考えた時には、違った選択肢は全然あり得るという話です。
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