読書メモ ラッセル『哲学入門』第四章 観念論

バートランド・ラッセル著 髙村夏輝訳『哲学入門』筑摩書房

観念論の論拠は「私たちに知られ得るものであるために、物が満たさなければならない条件」を論じるなかから出てくる

バークリ僧正「知覚を通じてその存在が確信されるのはセンスデータだけ。知られるというのは心の中にあるということ。なにかが知られるということはそれが心的だということだ」とした

バークリは直接に知られるものすべてを「観念」と読んだ。センスデータだけでなく夢に見たり想像しているだけのことも含む。

そして、物的対象を知覚するときに直接知られているものはすべて観念から出来ているとした。物的対象が目をつむっているときでも存在するのは神が物的対象を知覚しているおかげであり、つまり物的対象は神の心の中の観念なのである。我々は神の知覚を分けてもらう形でほぼ同じ物的対象を見ることができるのだ。

この議論では観念という言葉の使用で混乱が生じている。「物的対象は観念のみからなる」というとき、物的対象が心のなかに含まれるというのではなく物的対象について思考が心の中にあるということを示す。バークリはこの両者を混乱しているために捉えられるものはすべて心的でなければならないと結論した。



しばしば「自分の知らないなにかがあるということを、私たちは知ることが出来ない」と言われることがある。知るという言葉は二つの異なった意味で使われている。第一の用法では信念や確信など判断と呼ばれるものにたいして使われる。第二の用法ではセンスデータを面識することにたいして使われる。これを踏まえて先の言明を言い換えると「私たちは決して、自分が面識していないなにかが存在すると、正しく判断できない」しかしこれは明らかに間違っている。「記述を介してものを知る」「その記述に当てはまるものの存在を面識しているものの存在から一般原理を通じて推論できている」ということの二つがありえる。


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