【新聞記事から】三浦謙司と坂入健司郎

過日、日本経済新聞の関西タイムライン「文化の風」にこんな記事が。

簡単に言えば2人は音楽以外の職歴を持つ音楽家ということ。これが「異色」となるのはいかにも「一芸を極める」のがよしとされ、特に戦後は定型の人材生産システムの中に芸術家も取り込まれた日本ならでは。

昔は多様な経歴を持つ音楽家は結構いて例えばnoteで度々取り上げた指揮者の朝比奈隆(1908-2001)の場合、戦前のエリートコースである旧制高校から京大へ進み、卒業後は阪急に就職している。
しかし「サラリーマンは落第」と悟り、再び京大に学士入学し、美学を修めながら亡命ロシア人のもとでヴァイオリンの基礎訓練に励み、将来指揮者として生きる決心を固めた。
また作曲家の湯浅譲二(1929-)は元々医者志望で慶應義塾大学医学部に進んだが当時の日本楽壇の水準を横目に見て「これならオレでもいける」と不敵な決心を固めて中退し、作曲の道に進んだ。
さらに音楽物語「窓ぎわのトットちゃん」で知られる小森昭宏(1931-2016)は慶應義塾大学医学部をきちんと(?)卒業して脳外科医となり、その一方で作曲家として童謡を中心に多数の名曲を生み出し、音楽教育にも携わった。

従って歴史的に見れば記事中の両名のような存在は驚くにあたらないし、むしろいて当たり前である。
そして坂入健司郎に関してはサラリーマン云々よりもやはり慶應義塾大学出身である点の方が大きい。
彼は指揮活動以外にもCDのライナーノーツ執筆を積極的に手がけるが、譜面に寄りかからず、楽曲や演奏の特徴を文章で表現できる語彙の豊かさ、論理を組み立てる思考能力の高さには敬服する。
音楽の才能がある上にきちんとした家庭教育を受け、しかも水準の高い一般の学校で学んだことが生きている。
えてして日本の音楽家は言語表現能力が低く、市井のひとを文化芸術に引き寄せられない一因となっている。そのなかでひとを魅了する言葉を書ける坂入は頼もしい存在。

失礼ながら三浦謙司は力量は確かだが雰囲気が少々サラリーマンっぽく舞台人、芸術家としての「華」に欠ける。
一方、坂入はひとたび舞台に出れば周囲はパッと輝き、聴き手にオーラがビュンビュン伝わってくるまぎれもない芸術家。レパートリー、表現の奥行きともに拡がりを増しており、稀有な才能を持つ指揮者として今後ますます飛躍するだろう。

※文中敬称略

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?