R.シュトラウス「ドン・キホーテ」を生で聴きたくなった話

「ラ・マンチャの男」から想う

4月20日、母がよこすか芸術劇場で二代目松本白鸚主演のミュージカル「ラ・マンチャの男」を観た。

2年前、日生劇場の公演を予約したが、感染症関連の事情で何と当日夕方に中止が決定。母はそれを会場前まで来て知り、パンフレットだけ買って帰ってきた。
今回「ファイナル」と称してよこすか芸術劇場公演が決まると筆者にオンラインのプレオーダーを依頼してきた。おおよその希望日程、予算を聞き、「ならこの辺で」と第1希望だけエントリーした。
第3希望まで埋めなかったことに不満げな母だったが、結果は無事手配成功。

当日有休取って赴いた母は練られた脚本、白鸚の声の良さ、松たか子の演技力に感銘を受けていた。

ミュージカル「ラ・マンチャの男」(オリジナルブロードウェイ上演1965年)は『ドン・キホーテ』の著者セルバンテスの人生からインスピレーションを得て創作された。
一種の哲学性が含まれるプロットを広く楽しめるエンターテインメントに仕立てたオリジナル制作者と脚本家の才覚には敬服する。
ちなみに1965年のブロードウェイ上演における主役は後に「刑事コロンボ」の傑作エピソード「権力と墓穴」(第3シーズン最終話)で犯人役を演じたリチャード・カイリー。翌1966年のトニー賞に輝いた。

2年越しの悲願の叶った母の話を聞きながら、頭に浮かんだのはリヒャルト・シュトラウスの交響詩「ドン・キホーテ」。

カラヤンが好んだ変奏曲による幻想詩

この作品は大部の原作の主要場面を「幻想的変奏曲」(作曲者の言葉)で描く。
主人公ドン・キホーテはチェロ、従者サンチョ・パンサはヴィオラのソロで描かれ、その他登場する事物は主に管楽器がアイロニーを含んだユーモラスな動きであぶり出す。

筆者が初めてこの作品を鑑賞したのは約四半世紀前の高等科の頃。
町田の図書館で視聴できたカラヤンのLD(1986年1月収録)による。

原作は大河小説ゆえ、どれほどの怪物音楽かと身構えたが、明確な性格付けのテーマが映す、渋い色彩の変化に引き込まれた。
同時期にNHK交響楽団のコンサートで出会った「英雄の生涯」と並び、作曲家シュトラウスの職人的作曲技術の卓越性を実感した。

一方で変奏曲としては比較的長いうえ、はっきりしたクライマックスを持たない音楽による「語られ始め、語り終わる」お話のため、シュトラウスの傑作の中では若干地味な存在。
ショルティ、ベームなどはこの作曲家が得意なのになぜか「ドン・キホーテ」はあまり取り上げなかった。
そうしたなかでカラヤンが3回セッション録音し、2種類の収録映像を遺したのは際立つ。
1986年1月25日・26日にベルリンで開かれたヴィルヘルム・フルトヴェングラー生誕100年記念演奏会のメインプログラムもこの作品だった。
2人の相剋を考えると色々想像するが、ある地位にいる者の使命は孤独と無理解のなか、抱いたひとつの理想に進み続けることだという示唆に感じる。
当時カラヤンのアシスタントを務めていたのは現在愛知室内オーケストラで活躍する山下一史。合間に1970年代半ばから1980年代初頭までカラヤンと「ドン・キホーテ」で共演したロストロポーヴィチの思い出を楽しそうに語ったそうだ。

筆者がクラシックを聴き始めて27年余り、本作の実演には2回接した。20年以上前のことでともに形はできていたが、深く心動かされるまでには至らなかった。

母の土産話の後、またコンサートで「ドン・キホーテ」を聴きたい気持ちがふつふつとわいている。

※文中敬称略※

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