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「結局、世界の歴史は不正の連続なんじゃないのか?」

#岩波少年文庫70冊チャレンジ #1日目

クラウス・コルドン著, 酒寄進一訳『ベルリン1919 ー赤い水兵 上』(岩波少年文庫, 2020)[1984]

岩波少年文庫70冊チャレンジの1冊目は、今年新しく文庫入りした「ベルリン三部作」の1巻にしました。
この作品は以前理論社から出ていたそうですが、絶版ののち、岩波に移ってきたようです。

労働者階級の少年ヘレの目を通して、敗戦後の市民革命とドイツ帝国の崩壊、そこで闘う人々の姿を描いています。

読みながら、ああ、わたしはこの時代のドイツのことを何も知らないな、と思いました。

ドイツ、と聞いてわたしが思い浮かべるドイツは、ナチス・ドイツ以降のドイツです。
物心ついたときには、ドイツは「ドイツ連邦」でしたし、歴史で学んだ記憶があるのも、西ドイツと東ドイツです。
東西に分かれる前のドイツ、ナチスが台頭する前のドイツ、帝政ドイツのことが、わたしには全くわかりません。
巻頭にベルリン市街の地図が載っているのですが、かろうじてブランデンブルク門とポツダム広場、ティーアガルテンはわかるものの、「壁」跡がないベルリンの地図、というのにものすごい違和感を覚えました。

そんな程度の歴史認識なので、物語の筋を追うのにいっぱいいっぱいでした。

敗戦後1918年のベルリンはとても貧しく、ヘレはもう何年もひもじさを感じなかったことはありません。
父親は戦争に行き、母親のわずかな稼ぎでなんとか暮らしているものの、そもそも食料も石炭も売っていないのです。
ヘレは取り立てて正義感が強いわけでも、賢いわけでも、人望があるわけでもない普通の少年で、普通の貧しい少年が、周りの世界の変化に呑まれていきます。
そこにあるのは、ドラマチックな友情物語でも、大袈裟な家族愛でも、輝かしい英雄譚でもなくて、日々の生活に精一杯で、理不尽な社会をどうにかしたいと思っている人々の生活です。

淡々としているし、問題が解決するわけでもないし、社会が急激に変化していっても日常は変わりない、という対比が印象的でした。

ストライキの噂からはじまって、父親が戦争から帰ってきて市民運動に身を投じ、近所の人が連行され、革命が起こって市民が広場に押し寄せます。
外の世界は刻一刻と変わっていって、ヘレも急激な変化に高揚します。
そして家に帰ってくると、いつもと変わらず弟妹の面倒をみて、わずかな食べ物を家族で分け、ひもじい思いをしながら眠りにつき、朝になれば学校に行って授業を受けるのです。

革命は成功したかと思いきや、新しい政府は結局のところトップが変わっただけで資本主義のまま、市民が望む社会主義はどうやら実現しなさそうです。


ヘレのご近所さんで父親の友人オスヴィンは、この革命運動には反対だと言います。
70年前の革命でも結局世の中は変わらなかった、今回の革命でも人が死んで、その結果どうなったかというと、やっぱり世の中は変わらない、と言うのです。

「武器をとって戦ったら、それ自体、不正になりはしないかね? そしたら、またほかのだれかが不正な目にあうことになるんじゃないか? 結局、世界の歴史は不正の連続なんじゃないのか?」(pp.246-247)

ヘレは、年寄りのオスヴィンの言うことが受け入れられません。

でも、その後のドイツの歴史を見てみると、不正は不正を生み、それが次の戦争に繋がっていったのだろうな、という気がしなくもありません。


これを子どものときに読んでいたら、自分はヘレにもっと感情移入して読めたのだろうか、と疑問に思います。

今回初めて読んでいて、自分はどちらかといえば歴史的な視点というか、俯瞰で読んでいるように感じました。
社会の流れに翻弄される市民の、とにかく生き延びたい、もっとマシな生活がしたい、という願いはごくあたりまえのもので、でもそれが社会主義に傾倒していくのをみると、21世紀に生きるわたしには、うなずけない部分でもあるのです。

しょっぱなから重いテーマの本を選んでしまったな、という感はあるのですが、幸いなことに文章はカサカサと乾いたような軽い読み口で、どんよりすることなく読み進められます。
物語は続くので、革命運動に巻き込まれ始めたヘレの家族がどうなっていくのか、楽しみです。


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