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「われわれ日本人は人をあまり信用しないところがあるのかもしれない。」

何をいきなり、と思い、そして「だから一人で考え込んだり山に篭ったりする」続けられると、なるほどたしかに、と思ってしまいます。
その基準で言えば、わたしも他人をあまり信用しないひとのひとりです。

いや、「信用」と「信頼」は別物で、その辺はほらいろいろと言えるじゃん…… と、楊戩を信頼していると答えた太公望の言葉を噛み締めたりするのですが(突然の封神演義)。
(ところで「楊戩」て普通に予測変換で出るのですね。感慨深い。)

とりあえずそんなことは今回の本にはあまり関係がないのですよ。
今回の本はこちら。

外山滋比古著 『最高の雑談術 乱読のセレンディピティ』(扶桑社、2018)

以前、外山氏の『乱読のセレンディピティ』を読んだことがあります。
それは、分野の垣根を超えてさまざまな本を読むことで、脳内でいろんな情報が結びついて化学反応を起こし、思ってもみなかったアイデアが生まれる、という趣旨の本でした。

今回の『最高の雑談術』では、「乱談」という概念を提唱しています。

わたしはそもそも人と話すのが苦手です。
1回2回会った程度の人と社交辞令的な会話をするのはまったく問題ないのですが、そこからさらに踏み込んだ会話、となると、どうにも人間関係を築くのが面倒になってしまって……
まあ内向型なんで仕方がない、と諦めている部分でもあります。

それはそれとして、外山氏のいう「雑談術」というのは、なにもスモールトークをうまく使いこなす、ということではなくて、「乱談」という言葉で説明するように、「あれこれと分野を超えて意見を交換することで、思いもよらない見方を発見すること」とされています。

これならば、多少思い当たることはあります。
わたしには何人か、気兼ねなく話せる友人がいる(と自分では思っている)のですが、会話の内容はかなり多肢にわたります。
大抵は相手の仕事の話(おもしろい職についている人が多いので)に乗っかる形で話すのですが、自分の最近読んだ本や、目にしたニュースなどから感じた見解を話したり、自分の中でぐるぐると考えていることに関連づけてみたりと、話はあちらこちらへ寄り道しながら、発展していくことがあります。

外山氏は、「乱談」をするには2人ではダメで最低でも3人。
できるならば5〜6人いた方がいい、と断言していますが、わたしの感覚では2〜3人がもっとも調子よく話せるきがします。
5〜6人もいると、2人と3人に分かれてしまったり、聞き手に回るだけになってしまうことが多いからです。
もっともこれも、外山氏が望ように「同程度の会話のできる人」の集まりであることが大前提で、それがなかなかうまくいかないからでもあります。
わたしの周囲だと、3人くらいが限度かな、と思うからです。

会話というのはおもしろいもので、誰と話すかによって同じトピックスでも内容が変わってきます。
ゴシップに終始することもあれば、話が全く続かないこもとあるし、逆にメタ的な会話に発展することもあります。
どれが正解というわけではなく、人によって会話のゾーンが違うだけなので、それに自分が合わせられるか、という自分のコミュニケーション力によります。
なので、その辺のゾーニングを気にせずに話せる相手は、本当に得難いなあとも思います。

外山氏はとにかく「日本人は乱談をもっとすべきだ」と主張していますし、わたしもそうだと思います。
何かしら同じトピックスを持つ者同士で、忌憚なく意見を交換できれば、これほど幸福なことはないでしょう。

そして、そんなことをできる仲間が5〜6人もいたら、もうそれだけで人生は十分に充実したものになるのだろうと思います。


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