ボブを通して見る世界
えーっとね……新大久保、……謎の肉、え、なんだろう
自分の常識は世間の非常識、とはよく言ったもので、自分では当たり前だと思っていることが当てはまらない人が、世の中にはいる。
良し悪しの話ではなく、ただ単に思考回路がまったく異なるのだ。
と、いうことを、この間友人とボードゲームをしていて実感した。
そのゲームの名を、「ボブジテン」という。
日本語を勉強しているボブがカタカナ語を説明する辞典を作る、という趣旨のもので、一種の水平思考ゲームだ。
親はカタカナ語のお題をカタカナ語を一切使わずに説明し、プレイヤーは制限時間内にお題を当てなければならない。
親の説明能力とプレイヤーのお察し能力の、両方が問われるゲームだ。
例えば「バジル」というお題があったとして、制限時間30秒(1分だったかもしれない)の間でお題を当てる。
あなただったら、「バジル」をどう説明するだろうか。
即座に思い浮かぶような、「ハーブ」「イタリアン」「ピザ」という単語は、カタカナだから使ってはならない。
わたしだったら、たぶんこんな風にする。
薬草の一種で、緑の葉っぱを料理に使う。
赤くて丸い野菜との相性が抜群。
この野菜と一緒に、洋風の麺料理に乗せたり、薄くて丸い小麦粉の生地を焼いたのの上に乗せたりする。
感のよいプレイヤーがいれば、2文目で正解を言ってくれるだろう。
わたしにとっては、こういう説明のしかたはいたって当たり前だ。
つまり、
・そのものがどんなカテゴリーに属するのか(ハーブ、食用)
・特性(トマトとの相性)
・どこで目にすることが多いか(パスタかピザ)
という一般的な事象を、順に説明する。
一緒に遊んだ人の中には、わたしと同じような説明をする人が何人かいて、そうすると相手の思考をどれだけ先読みできるか、みたいな早押しクイズのようになってくる。
一方で、こういうゲームがからきしダメな人も中にはいる。
その一つが、「カタカナ語をカタカナ語と認識していない」パターンだ。
「ゲーム」とか「パソコン」とかを、平気で口にしてしまって、総ツッコミを受ける。
そういう人がいるからゲームが盛り上がるのだが、「カタカナ語禁止」と言われていても、自分が口にする言葉を文字化して考えない人が結構いるのがおもしろい。
あるいは、回答するときに「お好み焼き?」などとカタカナ語でないものを挙げる人もいる。
答えに集中するあまり「カタカナ語」というルールがすっぽ抜けてしまうのだなあ、となかなか興味深い。
このゲームには「トニー」という特殊ルールがあって、トニーに当たった人は、片言でお題を説明しなくてはならない。
先ほどの「バジル」の例だと、
・薬草の一種で、緑の葉っぱを料理に使う。
というのを、
・薬草、緑、葉っぱ、料理
と単語で言わないといけない。
これがまた難しくて、ついつい「てにをは」や「の、な」などを使ってしまう。
そして、わたしの常識がまったく通用しないAちゃんが、トニーを引いたのだった。
一瞬黙ったAちゃんは、まず
「新大久保」
と言った。
瞬時に「韓国!」「K-POP!」などの声が飛ぶ(なお、韓国はカタカナではないのではずれ)。
それから少しうなったAちゃんは続けて
「謎の肉」
と言った。
引き続き「サムギョプサル」「スンドゥブ」「チーズドッグ」などの韓国料理名が飛び交う。
Aちゃんはそれ以上の説明を思いつかないらしく、うんうんうなっているうちに、時間切れとなってしまった。
時間切れになると、お題は公表されないまま次に進んでしまう。
全員の頭に大きなクエスチョンマークを残したまま、ゲームは続いていった。
ようやくゲームが終わったとき、誰かがAちゃんに「で、さっきのは何だったの?」と聞いた。
みんな「そうそう」「なにあれ」「そんな難しかったの?」と興味津々だ。
「えっとね、ケバブ」
……
…………
………………
「「「「「ええーーーーーー!!!???」」」」」
あなたにはわかるだろうか。
なぜ「新大久保」「謎の肉」が「ケバブ」なのか。
そもそもケバブはビーフかチキンじゃん当然じゃん。
あれをなんの肉か知らずに食べている人がいるとは、思ってもみなかった。
わたしだったら、たぶんケバブをこう説明する。
・中東の国の肉料理
・牛肉とか鶏肉の大きな塊をあぶって、そぎ落としたやつを小麦粉で作った皮に挟んで食べる
トニーだったとしても、
・中東、肉料理、牛肉、鶏肉
とかにするだろう。
日本で有名な中東料理なんて、たかが知れているからだ。
わたしだけでなく、全員の頭がはてなで埋め尽くされる。
Aちゃん曰く、
「前にね、新大久保で初めてケバブを食べたんだけど、すごく美味しかったの。でもあれ、なんかぐるぐる回ってるけど、なんの肉か分かんないじゃん?」
ははー、なるほど。
説明がすべて、自分の体験に紐づいているわけか。
そういえばAちゃんがほかのお題を説明するときも、なんだかピントがずれている気がしていた。
それは、彼女の体験から説明が引き出されていたせいだったのだ。
当然ながらわたしは、彼女がいつどこでその言葉を体験したのか、知る由もない。
あとわたしにとっては、それがどこの料理でどんな材料を使っているのか、食べる前も食べた後も知らない、ということがまったく理解できない。
(食い意地が張っているのでね……)
ただのパーティーゲームにも関わらず、大変奥深い人間観察となってしまった。
わたしが見る世界と、彼女が見ている世界は、きっとまったく別モノなんだろう。
本当に想像がつかない世界を、彼女は日々生きている。
きっとあちらからも、わたしの世界は理解不能なことだろう。
それはいいことでも悪いことでもない。
ただ、お互いにまったく違うものの見方をしているのに、一緒に何かをできる、ということが大事なのだ。
人間ておもしろいなあ。
いや、彼女がおもしろいだけかな、やっぱり。
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