ロッキーおろしが吹いている。春がきたのだ。吹雪はもうあきらめて、吹きまくるのをやめてしまったのだ。
ローラ・インガルス・ワイルダー著, 鈴木哲子訳『長い冬(下)』(岩波少年文庫, 1955, 1985)[1940]
春のおとずれを喜ぶ
英米作品を読むとよく不思議に思うのですが、登場人物がやたらと春や夏のおとずれを喜ぶのです。
わたしには、小さい時からこれが不可解でしかたがありませんでした。
春って、そんなに爆発的に嬉しいものだろうか。
夏は、そんなに楽しくてしかたがないだろうか。
イギリスに留学していたとき、この長年の疑問にはカタがつきました。
イギリスのどんよりして日が短くて、雨ばかり降る冬を耐えていると、ある日突然、日差しが「春」になる瞬間があります。
あ、春だ。
そう思うタイミングはどうやらみんな同じのようで、昨日まで閑散としていた川沿いの道が、今日は散歩をする人で溢れかえっています。
しばらくすると、
あ、夏が来た。
と思う日があって、その日を境に、公園中の芝生に人が寝転がるようになります。
おもしろいもので、日本では季節は次第に移っていて、あるとき「いつの間にか春になったなあ」と気がつくのです。
イギリスの春や夏はもっと主張が強くて、「春です!!」「今日から夏です!!!」と大騒ぎしています。
もっとも、気温がついて来れていないことがほとんどなのですが。
さて、7ヶ月の冬に閉じ込められていたローラたちも、物語の最後でようやく春を迎えて喜びます。
7ヶ月の冬って、1年の半分以上じゃないですか。
10月から始まって、4月まで。
その間、ローラたちは食料や燃料など、さまざまな問題と格闘することになります。
線路が雪に埋れてしまって、汽車は来ません。
食べ物は町にあるだけで、燃料の余裕もなく、一家は残されたわずかな食料を、少しずつ大切に食べていくほかありません。
現代のわたしには想像もつかないことですが、毎日小麦を引いた硬いパンを一切れ二切れ食べて、薄い紅茶を飲んで、あとは一日中干し草をよって縄にするだけの日々を数ヶ月続けるのです。
気が狂ってしまわないのでしょうか。
一家は歌を歌ったり、大事にとっておいた干し鱈をクリスマスに食べたり、演説や詩の暗唱をしたりして楽しく過ごそうとします。
「楽しく過ごそう」という堅い意志がなければ、乗り切ることができない、大変な災害です。
最後の方には、ローラはパンさえ食べる気が起きなくて、ぼんやりと毎日を過ごしていますが、側から見たら、栄養失調で倒れる寸前なのでしょう。
開拓時代には、こういうことがよくあったのかもしれませんし、それで
命を落とした人もたくさんいるのでしょう。
その日を生き延びることと、生き延びた後のことを考えることと、両方が必要であることも、この作品の厳しいところです。
町の若手農家のアルマンゾは、春になったら撒くための種麦をたくさん抱えていて、絶対に売るつもりはありません。
売ってしまっては、冬が終わったあとに生きていけなくなってしまうからです。
父ちゃんはそれを分かった上で、飢えている家族のためにバケツ一杯の麦を売ってくれ、と頼みに行きます。
いま自分を救ってくれ、と頼むことは、将来相手に飢えてくれ、と頼むことと同じであることを、父ちゃんはよく分かっています。
あるいは、アルマンゾが麦を買い付けに行った農夫のアンダーソンも、自分の種麦を売るつもりはない、ときっぱり跳ね除けます。
それは、アルマンゾのやり方と全く同じではあるのですが、アルマンゾはここでインガルスの父ちゃんと同じように、情に訴え道理を説いて、お金を積むことでどうにか買い付けに成功します。
さらに、麦を買って戻ってきたあとで、商人のロフタスさんが、仕入れ値の倍以上の額で麦を売ろうとします。
町の人たち、とくに仕入れに行ったアルマンゾとキャップはいきりたって彼を責めようとしますが、父ちゃんが今後の商売のことを考えろ、と言って諭します。
いまを生き延びること、生き延びたあとの生活を考えること、いま相手を助けることで得る信頼と、見捨てることで失う人望を、うまく天秤にかけて、人々は生きています。
その見極めの冷静さが、開拓地で生きる人々の厳しさであり、当然の姿だったのだと思わされます。
そんな厳しい冬が、ある日突然終わりを迎えます。
ローラが夜中に、ロッキーおろしの気配をかんじとりますが、そこからはっきりと、春がやってくるのです。深い根雪はあっという間に溶けてなくなって、真っ白だった世界に色と生命が戻ってきます。
クリスマスプレゼントが5ヶ月遅れで届いて、一家はようやくクリスマスのご馳走を食べられます。これはクリスマス用の食事でありながら、長い冬という死から蘇った、復活祭のお祝いでもあるのでしょう。
あたり一面が春の喜びにあふれて、暗く冷たい冬のことなど、みんな忘れてしまったかのようです。爆発的な喜びは、復活の喜びは、そこに至るまでの苦しさを全て覆い隠してしまうようです。