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息子の寝癖を気にする発言から思う、個性の在り方

「寝癖ついちゃってる。恥ずかしいなぁ...」


朝の8時。後部座席の息子から”穴があったら入りたい。僕は今、入れる穴を探しています”というような調子の声が聞こえてきます。

学童に送る道すがら、バックミラーにうつる自分を見つけたようです。

あらぬ方向へ飛び跳ねる髪の毛になんとか”大人しくなってくれ”と手で一生懸命押さえつける息子。


もう一人の息子は寝癖がついていたって全然気にしないタイプです。

むしろついている事にすら気づいてない?とでもいうような調子です。彼の中で身なりを整えることはそんなに優先順位が高くない事なんだと思います。(ちょっとは気にしてほしい...ズボンの紐が出ちゃってることくらいは、恥ずかしいと思ってほしいな...)   ついボヤいてしまいました。


くらべて、髪の毛と格闘する息子のほうは自分の身なりや、洋服のコーディネートなど気にする方です。

洋服も私が選んだものは文句は言わずタンスにしまいますが、しまったものの日の目を見ずにタンスの奥の方へ、奥の方へとおいやられてしまっている服もいくつかあります。

髪の毛もいつもなら、鏡を見て寝癖がついていると水で濡らして通学帽をかぶって大人しくさせる、というのが彼のスタイル。

匂うんじゃ?なんていう私の助言は無視で、これでいいんだ!と言い張ります。寝癖直しミストなるものを、彼にプレゼントしようと画策中。


全く気にしない息子と、ちょっと気にする息子。

同じように育てたつもりでも全然違う二人。


社会に目を向けてみても、様々な価値観を持った人がいてみんなそれぞれ、自分のこだわりや、優先順位があるように思います。

今日は初対面の方と会う日だ!という時は、一番初めに相手の方に飛び込む私の情報が”見た目”であるために、いつもより自分の身だしなみにおかしなところはないか?相手の方をぎょっとさせてしまう格好はしていないか?また、その場から大幅に浮いてしまうような恰好をしていないか?と色んなところにアンテナをピンピンたてて、自分をチェックします。

それでも、大丈夫かな~変じゃないかな~とドキドキしながら家を出発します。若いころは、”TPOに即した格好をする”ということに、

何それ?自分の着たい服、したいメイクとか個性のほうが大事じゃん!

とその言葉の本質をとらえずに、こじらせた自分の価値観を振りかざしていました。お恥ずかしながら.....。


でもそんな風にこじらせていた私が、徐々にたどり着いた考え方はこうです。

仕事における身なりや、初対面の方と会うときは自分らしさを失わない程度に馴染める格好をする。それは自分の価値観や個性を押し殺す、とはまた違った事であり、周囲への気遣いである。

周囲に溶け込もうとすることも、時には必要であると思っていて。しかしそこにばかり一生懸命になってしまう事で出てくる弊害も実際にはあり、気を付けなければならないことですが、社会の中で生きていくうえで周囲を気遣うということは、ある程度必要であることと思っています。それが、仕事、子供の保護者としてなど自分だけのフィールドじゃない場所へ赴く際の身なりならば余計に。


私の価値観はほかの誰も持っていない、私だけの特別なものであり、尊重されるべきもの。(自分が一番蔑ろにしがちなので、自分に言い聞かせる意味も込め、ここに残します。)同じように自分以外の誰かの価値観も尊重し、気遣うことで、よりみんなが暮らしやすくなっていくのではないかな、と思っています。


最近でいうと、スターバックスのドレスコード改訂が話題になりましたね。

改訂前のスターバックスのドレスコードがこんなに厳しいとは知りませんでした。個人的にスターバックスのコーヒーも、店内の雰囲気もとっても好きなので、こうした素敵な取り組みは”さすがスターバックス”と感じました。

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今日も素敵な笑顔のお姉さんが淹れてくれたコーヒーをお供に。

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