学校は不変だった

(2015年に執筆した記事です)

僕が38歳で教師として学校で働き始めた時の第一の印象が、

「学校って昔と変わっていない」

というものでした。勉強する内容も大体同じ。授業の仕方を大体同じ。
日本の小学校は、昔も今も、「みんなと同じように行動しようとする意識」を育てていると感じることが多々あります。

例えば、一年生に対しては「では、鉛筆を出しましょう。持ちましょう。姿勢をただしましょう。」とひとつひとつの動きを指導します。
質問をしてくる子どもがいると、「質問は、先生が「質問どうぞ」というまでは待ってください。」と伝えます。

教師からしてみると、一斉授業をスムーズに進めるためには、子どもたち全員が同じ動きを同じタイミングで行う必要があるのです。そして、そのように全員がビシッと揃って同じ行動が出来ていることが良しとされている教育現場の文化もあります。

学校全体が集合する場で、1クラスだけ集団行動が出来ないとマズイ、という教師の考えもあります。そして外部から公開授業に来る保護者や地域の人たちも、ビシッとみんなが揃って黒板を向き、静かにしているクラスが「まとまっている良いクラス」とする傾向にあります。

でもこれは本当にそんなに必要なことでしょうか。
この一種類の「ものさし」しか存在しないことで、「良いクラス」とされる代償として押さえつけられている子どもの良さはないでしょうか。僕は疑問に思っています。

「コンピューターにはできない仕事」ができるようになるには、それぞれの子どもがもっている才能や個性をみつけ、それを「創造力、社会性、臨機応変さ」というキーワードと関連付けながら伸ばしていくことが必要だと考えています。

才能や個性とは、そもそも一人一人違うものをもっているのが自然です。
これからの教育においては、一人一人がみんなと違う個性を発揮できるように育てることが大切なのです。

企業のほうが学校より社会属性が強いので、社会の変化に敏感です。研修会社にいたとき、新入社員研修で人事部が判で押したように必ず入れるキーワードに、「自発的に、自ら考え、行動する」がありました。
「自分の考えや意見をきちんと言語化する」
「わからないことがあれば積極的に周囲に聞く」
も、企画書の研修目標の「常連ワード」でした。

これは、それまでの「言われたことをきちんとこなす」に変わった新人に期待する素質でした。

同職だった妻は、「6歳から鉛筆一本持つタイミングまで教えてもらって、質問はしないほうが良くて、皆一緒に同じことをやるようにって教育されてきた人間が、22歳で突然自発的にとか積極的に動けとか言われても困る」と言います。

うちでは長男は2年後に、次男も4年後に義務教育を受けはじめる年齢になります。

でも、、、どこで?

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