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「好きな人」

性別に無関心

私の友人には、バイセクシュアルやゲイの方がいます。
彼ら(男女をまとめて「彼ら」と表現します)が私に性的指向を話してくれた理由は、私が性別に関して「無関心」であったからだと思います。ここでの「無関心」とは「興味がない」ということではなく、「そこに重きを置いていない」ということを意味しています。

話はそれますが、セクシュアルマイノリティの方が自分の性的指向を話すことを「カミングアウト」と言いますが、私はここに違和感を持っています。私の思う「カミングアウト」は「告白」や「暴露」の意味と近いです。
性的指向は「告白」するほどのことではない、と個人的には思います。「同性が好き」「私は性別を問わず好き」など、彼らの好きな相手の性別は、私にとっては「重きを置く点」ではないからです。

「あなたが好きな人が、あなたの好きな人」です

このように考えていることから、先程述べた「性別に無関心」という言葉の意味を理解していただけると嬉しいです。

十人十色

人の感情は、完全に定義できるものではなく、人により多少の差異が生じるものだと思います。頭痛で病院を訪れた際に「どこがいたいですか?」「ズキズキしますか?ゴンゴンしますか?」など聞かれたことはないでしょうか。頭痛ですら人により異なるものですから、より複雑かつ繊細である人の感情は、人により異なることが当たり前だと思います。

恋愛的に「好き」なことと、人間的に「好き」なことは、どちらも「好き」です。「恋愛的」「人間的」どちらの理由でも、そのどちらでもなくても、人を好きになっていいと思いますし、人を好きにならなくても不思議ではありません。

十人十色という四字熟語がありますが、この「十色」は赤や黄色、緑や青といった12色いろえんぴつの中から選ばなければいけないわけではありません。十人がそれぞれの色を、自信をもって主張して良いのです。皆が違う「好き」を持っているのです。自分で好きな色を見つけたり、自分で色を作り出しているのです。

「好き」は好きな色のように変化しても構わないでしょう。去年は「ストレート」であった方が、今年は「バイセクシュアル」に変化してもよいでしょう。好きな色が青から赤に変化したように、それは些細なことです。



あなたの好きを、誰かに制限されることは
あってはならないと思います


セクシュアルや「好き」について悩んでいる方々が、少しでも気が楽になっていただけたら幸いです。


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