血に勝るもの

凄い歌詞だなと思う。
星野源の『喜劇』。

こういう表現を積極的に使っていこうとするのはとても良いと思うし、捻り出したのだとすると、それはそれで流石源さんって感じだ。

自分は家族に不自由したことはない。

家庭環境は至って健全で、両親がいて、祖父母との仲も良好。20数年間、愛もお金も、うんとかけてもらえた。

だから、これからする話は全て共感ではなく、想像の話。

教育機関の利点は、様々な人間がごちゃ混ぜになって交流することにあると思う。そうやって、様々な人間と交流し、他者を知る。そして、世界や社会について想像することになる。

たまに、他者を想像できないアホや、自分の権利を殊更に主張するあまり、他者を傷つけ、排斥するバカタレがいるが、そういうやつについて知ることができるのもまた教育機関の利点だと思う。

閑話休題。

世の中には、家族に不自由している人もいる。これは他者との関わりの中で理解した事実だ。

動物でいえば、群れや巣が機能していないということになる。

だが、野生の世界で群れや巣が機能していないなどという話は聞いたことがない。

野生の世界で一番大事なのは、種の存続だ。
だから、親は子に餌を与える。これが生き方であるし、これが本能なのだと思う。

この点について、人間は異なっている。

人間は生き方を自分で決める。
これは自由であるとか、人間が上だとか、そういうことを言いたいんじゃない。人間の血に刻まれた本能は、生き方を種の存続に限定しないのだ。

だから、人間は親にならなくても良い。

こんな風に考えると、じゃあなんで、子供を設けるのだろうなぁとか思うわけだが、ここには何だか本能の影を感じる。

快楽や愛、本能、欲望、別に避妊の大切さを説きたいわけではないが、間違いなく人間の本能は「子供を設ける」方に強く作用している。「餌を取ってくる」方に、ではなく。

なんだか壊れた電子回路のようだ。
次世代に繋ぐという動物的要素は残しつつ、自分の人生・生活への制限は意志に基づいて拒める。

なるほど。そりゃあ、子育てしない奴もいるわけだ。子育てしてる人は責任を果たしてるとはよく言ったものだ。


さて、たまに頭のおかしな奴がいる。
そいつらは殊更に血の繋がりを重視し、苗字で生じる団結とやらを信奉している(勿論、別姓にすることで、子供がいじめられるなどの懸念はある)。

人間は血でなんか繋がれない。
血は、先程まで話してきたように、子供を設けるまでしか人間を縛れない。繋げない。

血は人間に子育てをさせない。

じゃあ、人間は何で繋がるのか。
自分は愛とか、愛着、心が通じるみたいなものだと思う。共に過ごした年月とかね。

ようは「そいつといたい」という思いだ。

だから、「お互いに家族だと思っている集団」が家族だと思う。これは譲れない。

自分は家族に不自由したことはないが、単に血で繋がっている人々だとは思いたくない。このメンバーが自分の家族だから、自分にとっての家族なのである。

人間にとって、誰にとっても、家族は血に勝るものだ。そうでなくてはならない。

ただし、ここで話を混ぜ返すのも野暮だが、一概にも言えないこともある。

自分の生涯最高の映画の一本に『フロリダ・プロジェクト』がある。

小さな女の子を主人公にした映画で、彼女と一緒に、彼女の目線で世界を追体験できる。

ここに出てくるお母さんが、まあ危なっかしい。
シングルマザーで、貧困層のため、恐らく体を売って娘を育てているのだが、自分が仕事をしている間、娘を風呂場に閉じ込めている。

閉じ込められているが、陽気な音楽がかかり、娘が踊り出すのがまたこの映画らしい。

女の子にとって、この人生が素晴らしい自分の人生なのだ。そのスタンスを崩さない。

彼女にとっての家族を着実に描いている。

先程出した風呂場の例のようなものが頻繁に登場するため、外から見るとマジで危なっかしい。ただ、女の子視点だと楽しみに彩られた美しい世界だ。

『万引き家族』も似たような作品だろう。こちらは血が繋がっていない。

やはり、各々にとっての家族との楽しい日々、あるいは紛れもない自分の人生を描く一方で、引いて見ると危なっかしい。万引き家族なのだから。

二つの作品は偶然か必然か、行政当局のメスが入ることで終わりを迎える。「正しい大人」が「間違った親」「親とはみなせない人物」を引き離す。

果たして、それが危うい集団だとしても、自分が家族だと思う集団にいることが子供にとっての幸せなのか。

答えは出ない。


毒親、親ガチャ。
飛び交うキャッチコピーは世相を写す鏡なのだろうか。

ちゃんと苦しむ人たちを適切に切り取れているのだろうか。

『喜劇』の方がよっぽど、今の家族を上手に描写しているのではないだろうか。

あくまで想像の話。

今日もどこかでお腹を空かせた雛鳥が鳴き声をあげている。

ライオンの母親は子供たちの前に捉えた草食獣の子供を差し出している。

終電を逃したカップルがラブホテルに消えていく。

車の中で、赤ん坊が冷たくなっている。

こいつんち父ちゃんいないらしいぜ。無邪気な子供たちの笑い声。

教育の名の下に振り下ろされる拳。
流れる血と涙。

今日も大好きな家族のメンバーと食卓を囲む自分。

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