海辺のレストランにて
海辺のレストランには昼時にも関わらず、客が一人。僕に向かって柔和な笑みを見せている。
「いや、ほんとに懐かしいな、ガハハ」
大口をあけて周りに悦びを与えるかっちゃん。その姿は当時のままだ。
「何年ぶりだ、50年ぶりか、ガハハ」
せっかく注文したパンとスープにはまったく手を出さず、のべつ幕なししゃべり続けている。
「かっちゃんは変わらないな」
僕は次の客がいつ来てもいいように、カトラリーの類を整えていた。整えるというより話の行き場に困って手持ち無沙汰になっているだけだ。
かっちゃんは小さい頃から明朗快活、その言動で時には誰かを傷つけてしまうこともあった。人気者ではあったが僕のように彼の勢いを苦手とするクラスメイトも少なからずいた。
「すごいなお前は、こんな素敵なロケイションにかっこいいレストラン構えちまって」
かっくいい、かっくいい、としきりに声を上げる。唇の端にたまった唾液の泡も僕は好きになれない。
「ほんならそろそろ行くわ、んじゃ」
かっちゃんはポケットからくしゃくしゃのお札を取り出してぞんざいにテーブルの上に置いていった。代金にしては多すぎるが、会話代とお残し代としてありがたく頂戴することにした。
その後結局人っ子ひとり客は来ず、昼下がりに一旦閉店して夜開店の準備を始めた。
「これで26か……」
夜も客足はさっぱりだった。少し早いが今日は店じまいだ。表の看板を片付けに外へ出ると、爽やかな海風が頬を撫でた。その風と共にサングラスをかけた女性が一人、通りの奥からやってきた。
「まだあいてるかしら」
僕は彼女を招き入れる。年齢は僕と同じぐらいだろうか。髪の毛には堂々とした白髪が多く混じっている。今夜は長くなりそうだなと直感した。
「ご注文は?」
彼女はメニュー表の赤ワインとオムライスを注文した。僕の得意料理だ。
フライパンにバターを乗せ、ゆっくりと回す。
「ここは開店してどのくらいになるの?」
「もう40年になります」
「へえ、流行っているのね」
「観光ですか?」
僕は料理の手を止めずに質問をする。
「私最近に日本に帰ってきましたの」
「へえ、それまではどちらで?」
「いろいろ旅をしておりましたわ、中国、ヨーロッパ、そしてアメリカ」
「そりゃすごい」
彼女の旅先での思い出を聞いていたらいつの間にかオムライスは出来上がっていて、いつの間にかグラスにワインが注がれていた。
しかし、彼女は一向に料理に手をつけなかった。まるで理解しがたい現代アートのようにまじまじとオムライスを見つめていた。
またか、と僕は思った。
「私ね、恋をしていたの」
唐突にポツリと彼女は語り始めた。
「もう50年も前の話、笑っちゃうわよね、50年」
「いえいえ全然」
「彼は同じクラスの男の子、地味だったし運動も苦手、勉強はそこそこかしら、臆病で誰かを褒めることしかできなかった」
「僕もそんな感じだったなぁ」
「でも臆病っていうのは優しさなの、私は彼にそれを教わった」
また思い出話か、僕はウンザリした。
「彼は教室に飾られていた一輪の花の水を毎日替えていた」
僕は黙った。
「誰もやらないめんどくさいことを彼はやっていたの、ある日放課後に思いきって彼に話しかけたの、どうして毎日花のお世話をしているの?って、そしたら彼はこう言った、だってこの花を枯らしたら先生に怒られる、怒られるのが怖いから世話してるって」
僕はうつむいた。
「おかしな話よね、怒られるから世話するなんて、彼は臆病だった、でもそのおかげで花は生きていた、臆病は優しさなんだってそこでわかったの」
僕は厨房を出て、彼女の向かいの椅子に腰をかけた。
「……ここは昔、40年前に戦争がありました」
彼女は知っているわというように僕に話を促した。
「40年前、この村の若い男たちはみんな出兵しました、みんな、みんな星になりました」
彼女はうんうんとうなずく。
「この村には近くに武器庫があった、当然敵国の標的になった、村はある日焼け野原になりました」
「僕は遠くの戦地でそれを聞きました、僕は友と故郷を一気に失った」
「僕はこの村でレストランを始めました、戦争で死ねなかった臆病者のレストランなんか誰が行くかって、石を投げられたこともある」
「それでも必死に店を守りました、とてもとてもつらかった」
「そしてある時から、毎年この時期になると昔の友達が訪ねてくるようになりました」
「友人たちはみんなどこかで新しい生活をして多少老けているようだったけど明らかに昔の面影を残していた、まるで40年前で時が止まっているかのように」
「彼らはいつも料理を注文するのにひと口も食べず、お金だけ置いて帰っていきます、僕と思い出話をして」
「でも僕の友達はみんな死んでしまったはずなんです、おかしいですよね、でもみんなやってくるんです、このお盆の時期になると」
「今日で26人目」
「そして……あなたで27人目だ」
彼女はにっこりと笑って話してもいいかしらと言った。
「私、武器庫の清掃をやらされていたの、私の同い年の男の子はみんな兵隊にとられちゃって女の子だけでこの村を守ってた」
「武器庫にいた大人たちはみんな怖くて何かあるとすぐ手をあげたの、私それがとっても怖くて、嫌で嫌で仕方なかった」
「あの日も怒られるのが嫌でとうとう近くの山に逃げ出しちゃった、臆病は優しさだ、臆病は優しさだって言い聞かせながらね」
「そしたら村の方角に飛行機がいっぱい飛んできて村が光るのが見えた、地鳴りみたいな音が遅れて聞こえてきた」
僕はそんなことがあるのかと椅子にしがみつきながら驚いた。
「それから親戚をたよって、海外を渡り歩いてこの歳になった、おかげさまで幸せな人生だったわ」
「そんな……そんな……」
「あなたは臆病者じゃないわ、誰かを救える優しい心の持ち主よ」
彼女は真っ赤なマニキュアを塗った両手で僕の手を包み込んだ。
僕は店の窓辺に飾った一輪のひまわりをじっと見つめた。
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