見出し画像

理不尽をチャンスに変えるお薦め本‗5選

最近「すべてのことに感謝しなさい」という人がいるが、どうにも胡散臭い。さらには「自分に悪くした人にこそ感謝しなさい」とまで言う。えせ新興宗教や詐欺師が自分だけ裏でインサイダーを働き、うぶな信徒をだましている洗脳の匂いがする。

難病にかかったり弱い立場になったりすると、それに付け込んで商品を売りつけるビジネスがある。

そんな安易な言葉を使わずとも歴史の風雪に耐えた名著がある。

そんな名著のなかから5冊を紹介する。

理不尽な運命に苦しんでいる方は、ぜひ読んで勇気をもらってほしい。

旧約聖書「ヨブ記」‗理不尽の古典

ヨブは人生の成功者であり、人格的にも非の打ち所がない人物だった。ところがサタンが神にヨブの信仰を試すように提案する。ヨブには次々に不幸がふりかかる。そんなヨブを見て、3人の友人はヨブが良くないことをしたから報いを受けたと考える。

しかし、実際には神とサタンが一方的に与えた試練だ。
ヨブは「神は無垢な物も逆らう者も、同じように滅びつくされる」と言う。

「すべてのことに感謝しなさい」というセリフには主語が見え隠れする。すなわち、3人の友人の視点だ。しかし事実は因果関係はなく、ひたすら理不尽なだけだ。理想的な聖人ヨブにひたすら不幸がふりかかる。ここには恣意がない。ひたすら偶然があるだけだ。

ヨブ記では、ヨブや人々の考えを神は全て否定する。しかし、ヨブが神に不平不満を言うことだけは肯定した。

3人の友人は神が正しいと言ってヨブを非難する。なにか隠しているとしてヨブを非難する。しかし、神は最後には神を非難したヨブに前の倍の財産を与える。

理不尽というのは安易に結論の出ないことだ。だれにも解決できないことだ。その大前提をしっかりうけとめる必要があると感じさせる。

ナポレオンを見捨てた男‗悪の天才タレイラン

タレイランは激動のフランス革命を生き残った政治家だ。家柄は当時のフランス国王ルイ16世のブルボン家より古い名家だ。

しかし、生まれつき足が不自由なため僧侶への道を歩む。好奇心旺盛で性的にも奔放な不良だった。そんな性格と行動が災いして、彼を嫌う人から中傷されて教会での出世の機会を逃す。

しかし彼は逆にそれをチャンスととらえ、政治家への道を歩みだす。

彼はアンシャンレジーム(旧体制)の出身にもかかわらず、フランス革命では新興勢力に肩入れする。そしてその出身ゆえ、新興勢力出身者にはできない貴族の社交術を駆使してフランス革命で重要な役割を果たす。遊び好きな不良の経験も活きてくる。

その後革命がロベスピエールを中心とする過激派により暴走し始めると、巧みに旧体制と連携してロベスピエールに反撃する。その旧体制派との連携にひびが入ると、ナポレオンを担ぎ上げて体制を転覆させる。

最後はそのナポレオンを裏切り、対戦国と連携してナポレオンを追放する。しかも終戦処理のウィーン会議では、”会議を躍らせて”敗戦国フランスに有利にまとめるという厚かましさだ。

試練を次々に手玉に取って逆転していく人生の天才だ。

アウシュビッツの試練を克服‗夜と霧

著者のフランクルは、アウシュビッツ強制収容所に収監され生き残った精神医だ。収容所のなかで絶望し息絶えた人と、希望をもって生き残った人を観察して専門家として分析している。

原題は「それでも人生に然りという:ある心理学者強制収容所を体験する」

近代において非人間的な行為として記録された出来事で、最悪の出来事であるアウシュビッツ。その中からこのような名作が産まれてきた。これからも古典として人類に受け継がれていくに違いない。

その記録では被害者だけではなく、加害者の心の弱さを観察している。人間に強靭な精神力強さを求めても無理なことで、柔軟な考え方をもつことが実効的だと思わされる。

だから「すべての人に感謝しなさい。自分に悪くした人こそ感謝しなさい。」というのはどうにも納得いかない。それは強さを求めてしまう。「夜と霧」の例でいえば、ナチスやヒットラーに感謝することになってしまうではないか。

看守の中には囚人から選ばれた者もいて、同じ囚人をいじめたりする。いじめの構造でも、いじめっ子に”感謝”してパシリになり、もっと弱い子供をいじめる奴がいる。

誘拐された方が誘拐犯に同調する「ストックホルム症候群」というのもある。「悪くした人にこそ感謝しなさい」というのはとんでもなく危険な考え方だ。そんな言葉でさとされたら、弱い人間の心は悪の道を正当化してしまう。

「夜と霧」を読んで思うことは、どんなに理不尽なことに出会ってもそれが将来の糧になることは十分にある。だから柔軟な考えをもって、希望をもって日々過ごそうということだ。加害者に感謝することなんかではない。

淮南子

なんといっても、「塞翁(さいおうが)馬」の話だ。

中国の老人が馬に逃げられた(悪)。探しているともっと優れた馬を手に入れた(良)。子供がその馬から落ちてケガをした。(悪)ケガのおかげで徴兵から免れた(良)。

「禍福は糾える縄の如し」実によい言葉だ。どんな出来事でも、立場や価値観によって感じ方は異なる。どうしても主観的になりがちなのだが、柔軟に考えることの大切さをシンプルに伝えてくれる。

氷川清話

維新の英雄である勝海舟の座談集。

江戸弁で軽妙に語っているが、勝海舟の人生は理不尽の塊だ。

まずこどもの頃、将軍の子供の遊び相手として江戸城に招かれる。ところがそんな幸運もつかの間、犬に睾丸をかまれて死にそうになる。

青年時代は本を買う金がなく、人にオランダ語の辞書を写させてもらう。複写機はないので筆でだ。

暖房の薪を買う金がなく、家の壁や天井をはがして暖をとる。

幕府の代表として、長州と和平交渉に赴く。苦労して交渉をまとめて江戸に帰ると、はしごを外されて再び長州と戦闘状態になる。面目丸つぶれ。

我儘な将軍慶喜には薩長との戦闘中、さっさと自分だけ江戸に逃げ帰られたり何度も煮え湯を飲まされる。それでも徳川家存続のため薩長との人脈を活かして大活躍している。

まとめ_古典を読もう

先日落語家の方から落語家の修行の話を聞いた。師匠はあえて無茶ぶりをして理不尽を課すらしい。弟子はどうにか自分で解決する。そこにマニュアルはない。しかし必死な本人の対応でオリジナルなものが産まれる。「艱難汝を玉にす」ということわざもある。

起こってしまったことは自分の肥やしにできる。肥やしは臭いものだけれど栄養だ。理不尽を活かすために、安易な自己啓発にたよらずに、古典を読もう。

補足‗人を呪わば穴二つ

「自分に悪くした人こそ感謝」する必要はないが、「人を呪わば穴二つ」なのでくれぐれも仕返しを考えて自分の墓穴を掘ることがないようにしたい。タレイランや勝海舟やフランクルは理不尽をむしろチャンスに変えている。

人生の先達の知恵を活かして理不尽をむしろチャンスと考えて、前向きな行動に時間をかけるようにしよう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?