定年後の理想は仕事の道楽化
定年後に生活の基盤は投資で確保することができた。数年後に年金受給を開始すれば、極端な経済変動でもないかぎり余裕のある生活費の確保は目途がついている。余裕のある生活とは、買いたいものを値段を気にせず買い、年に数回の旅行を楽しめる程度のことだ。もっともカネのかかる趣味がないので、買いたいものといってもたかがしれている。
本多静六は多額の資産を作りながら多方面に寄付し、人生の幸福とは資産ではなく「仕事の道楽化」だと語っている。自分も定年後の生活を模索しているなかで同じ思いを強くしている。会社員時代は意味のない仕事を数多くした。意味のない仕事とはその仕事を命じた人物の都合のためだけで、組織の目的にも沿わない仕事のことだ。
雑用の類、とくに5Sのような環境整備は組織が機能的に動くため有意義な活動である。ところが逸脱した意味のない活動もある。たとえばシャープペンシルの芯を一本づつ棚卸させる管理職がいた。社員の人件費の工数をどう考えているのか経済的に不合理でもおかまいなしだ。上には絶対服従の人物だったので、プレッシャーをお門違いの方向に発散させていた疑いが強い。
定年後自営業となったが、意味のない仕事を振ってくる取引先はいる。しかし、そこは取引をしないことで避けることができる。あとは道楽化できる仕事を探ることだが、まだまだ見つかっていない。
投資家で実業家の大藪崇さんはとても気になる存在だ。学生時代に普通の勤め人コースからはずれ、パチプロから株式投資家、不動産投資家となり十億以上の資産家となった。しかしその生活に満足できず、第二の故郷松山を発展させるため、道後温泉のホテル経営と今治タオルの会社「伊織」を立ち上げて経営を続けている。天職という道楽化できる仕事に巡り合ったようだ。
世の中には自分の天職にまっしぐらと思える人がいる。芸術家や研究者系の人々だ。思い浮かぶのは、草間彌生、岡本太郎、牧野富太郎、といった人々だ。それでも草間彌生などは、若い頃アメリカで前衛芸術家として活躍しかけながら、アジア系の女性という属性から徐々に芸術家サークルからも排除された。その後日本に帰国し精神科で療養。活躍できない時代が長かった。岡本太郎や牧野富太郎も美術界や学界から排除の憂き目にあっている。
また小説家の橋本治も文学界から排除され、著書で「自分のマーケットを作ってやる」と書いていたのが印象に残っている。
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