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あきらめとは、あきらかにきわめることだと私の師匠は言っていたけれど

今日はあきらめるということについてゆさぶられたのでメモ。マイナスをフラットにしてくれた妻に感謝というメモでもある。

今日、オフィスで先輩に言われたことで傷ついたこととして、私は簡単にあきらめるということがあった。おまけに、いつもどおりみたいな常態であるという接頭語もついていてなおさら傷ついたのだが。

まあ、覚えもあるしそういう面は結構ある。人がやれることはやってくれ、自分がやらんでも良いならみたいな気持ちも結構ある。リーダーシップ論的にはよわよわだ。やりぬく≒グリッド力も低いよなと落ち込んだりもする。

おぼえがあるだけに落ち込むわけだ。欠陥的に思っていることだからなおさら。余談だが、そういうことをデリカシーなしに言うことも正直許せない質ではある。そして、言われたのが尊敬していて恩人でもあるからまたさらにつらみもある。

そんなで、少しのしこりをもちながら帰宅したんだけど、このことを妻に話したらさらりとしつこい俺もいるというシチュエーションも話してくれた。それがなんの気無しにだから結構救われた。

例えば、つまらんことで言えば冬の軽井沢で全く空いてないカフェを求めて久しぶりの妻とのふたりきりだからと、2時間近くお店を探し回ったこと。最終的にはどこに行ったか忘れたけどあきらめなかったことだけは覚えてる。

妻を口説くときもあきらめなかった。元カノのときも、かなりあきらめなかった。結果、10年愛でつきあったこともある。これらは別(笑)大学院受験もあきらめなかったし、妊活もあきらめなかった、のは夫婦だけど。

転職ばかりしてるけど、会社変わるときもあきらめなかった。書きづらいがうつだったり仕事を投げ出してしまったときも、環境を変えることはあきらめなかった。ここではないどこか、を目指す力にはかなり自信ある。このことはあきらめずに未だにきている。

極端といえば極端だ。しかし、勝負どころについては、引き寄せられそうなチャンスについては、信じられない執念がある。そんなことを思えた。

まあ、こういう火事場のクソ力なんて、定常的にだせないのだし、普段からコツコツやれたり我慢強くないのはルーチンを求められるサラリーマンには欠点。だから普段のたいていのことを、簡単にあきらめるのは欠点だしサラリーマン的には能なし。なんで、落ち込みは治りきりはしないが、フラットにはなれたので妻に感謝した。久しぶりに心から感謝。

適当なタイトルなので、最後にあきらめるの語源のリンクを紹介しておく。

https://www.gentosha.jp/article/16457/

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