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好きな音楽を聴くこと

あがらんね、ということを日記に書いてしまっているが、意外と音楽を聴くとあがってきたりする。最近はあまり音楽を聴かなくなってきたけど、骨伝導イヤホン(というのか)を買ってカジュアルにききやすくなったこともあり、研究のあいまに坂本龍一とか環境音的に聴いていることがある。

今日は久しぶりにGRAPEVINEを聴いてみた。デビューからずっと聴いている。20年以上。いまでも新譜を聴く数少ないミュージシャン。GRAPEVINEとサカナクションくらいか。そういうのは。(と言いつつ、来月は大阪までスガシカオを聴きに行くのだが)

保守的になり新しくアーティストを発掘することはあまりないのだけど、自分の歴史とともに聴き続けている音楽は大切にしたいものだ。

MTVもスペースシャワーも見なくなったけど、FM長野はよく聴いているので偏りつつも最近の音楽は耳に入ることがある。といいつつ、ピンとくるものはない。トレンドのものと感覚的にフィットしないのな。バンドサウンド、文学的なもの・内省的なもの、ってなると老害ロックばかりになるよね。

田中氏の文章、泣けるよね。

 私は自分の作るものが芸術だとも娯楽だとも、人の役に立つとも思っていない。あるとすれば、私以外の手が入って、バンドの何かが作用して、聴き手の何かが作用して、やっと有意義なものが産まれるかもしれないという期待である。私と似たような者の居場所が生まれるかもしれないと。

 群れずに生きるキジバトをどこか羨ましく思いながら、集まらずには生きられないバンドをやるという、そんな皮肉な矛盾も今は止まったままである。

 幸運を呼び込むと云われるキジバトの二羽の雛はあっという間に成長し、羽には美しい模様が現れた。巣立ちの日が近づいている。

群れず集まる<特別全文公開>

音楽、というわけではないけど、最近あまり好まないのは村上春樹の肉声。やっぱり、活字のみのイマジナリーな存在であって欲しかったのかな。文章にはだいぶん影響されてきました。大学、学部選びには影響されてもラジオはあまり聴かない程度のハルキスト。

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