久しぶりにいぬじん氏との往復書簡してみるか。相手はTwitterからだったのだがw
磯野さんは存在は知っていたが、俺のなかでは東工大の人と勘違いしていた。それは伊藤亜紗さんだった。まったく違ったわ。そして勝手にミシマ社界隈とか思っていた。人類学ちがいか。
まったく関係ないこと書くけど人類学っていいよね。俺の親友も人類学徒であるが、参与観察とかフィールドワークに長けている人はなんか好きだし羨ましい。とはいえ、全ての人類学者がフィールドワーカーでもないんだろうけど。
磯野さん、なにげに俺の先輩感もある。ワセブンに人類学がそういやあったのかと。文学部のなかでは亜流なのだろうけど、多様でざったなワセブンっていいなとあらためて思った。東洋哲学から西洋哲学、考古学も美学も心理学も社会学ももちろん文学もある。人類学の知り合いはいなかったなあ。
記事を読んで、激しく同意ものでした。られつ抜粋します。
ほとんど、磯野さんの発言を拝借した。このあたりは膝を打った表現だった。
わたしの場合は、もういろいろバカバカしくなった。人生を無駄にしている感がある日コップからあふれる水みたいになっちゃった感じ。
幾度もそういうことはあったのだけど、今回は水量が高まったのかなあ。
不安なのは金だけだった。所属とか肩書とか社会的な地位はないと寂しいし価値がなくなったように感じるのだけど、関係ない環境に身をおいてフェイスブックを見なけりゃいい。
この4月から新しい仕事に就くのだけど、まったくこれまでのキャリアと違う。やっと方向転換出来たなと。広告10年、人事10年、多少の長短はあっても、10年ごとに職種を変えているのはまあ普通じゃないのかも。普通ってもうあってないようなものかもしれないが。
ずっと同じ会社で定年まで勤めるのは憧れていたが、働いて3年でそれは叶わなくなった。金銭的にも安心感もあってそれもいいと思うのだけど、そうできなかったのも性(さが)ですかねえ。時代背景も大きいんだけどね。
だいぶ関係ないことを書いてしまったが、自分らしく働く、というのはとっても難しいことだと思う。基本条件として、たいていのホワイトカラー仕事はブルシットジョブであるので、そこに人生を仮託することは難しい。マイペースで楽しく、それなりに豊かに暮らすというのは頭をつかえばできること、でもないかもしれない。運と縁によるのかな。まあ、もがきながら少しでも心地よい生き方を模索するしかないんだろうね。
最近は、働き方とか生産性とかはもう興味が全く無くて、働き方について語ったら負けなくらいに思っているけどね。Twitterで流れてくるものも軒並みミュート。チューニングがあわなくなってしまったので、人事はもう無理だろうね。
では、いぬじん氏にTag.