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音楽で想起される記憶

深夜にサカナクションのアルバム『sakanaction』を聴いている。なんとなく周期的にサカナクションを聴きたくなる。30代はそうとう聴いてたし、ライブも連続で参戦してた。5-6年は続けて行ってた。活動休止明けでもあるし、最近はファンクラブの優先度が高くとんと取れない。あとは家庭がら行けない。移住したのと子供ができて自由度が減ったりしたこともある。
さて、タイトル。昔のベビーリスニングによって想起される思い出。もう10年くらい前のアルバムかな。当時は科目等履修生制度で慶應SDMに少し行ってた。その通学すがら聴いてたことを思い出す。学費が高いので科目等履修生でも結構した。なんか複数単位が取れるパックみたいなの。まだこのプランはあるのかな。そのお金を当時付き合ってた妻に借金して通ってた笑 たしか40万円くらいだけど、なんか、そんな貯金もなかったんだった。
結局その後、SDMには進学しなかったんだけど。うーん、なんか慶應には複雑な気持ちもあり。早稲田出てたのに、職場が慶應だったとかもある。ついてた先生が所属してたSFCのが好きとかくだらない理由もある。もちろん学びにフィットしなかった感じもある。
まあ、システムをデザインしてマネジメントする、って経営サイクルそのものだけど、なんか身につけたいけど腑に落ちなかった感じがあった。あとは、300万近い学費は借金して取るべきものとも思えなかった。

最近、東大の都市工学で修士をとれた。あれから10年、なぞの漂流ではある。中年の学歴厨だからして、もちろん嬉しい。まあ、最後はダレて息切れしてやっつけになつてしまった。これは性格だなと。終わってからもっと学んどきゃよかったこととか思ったり。まあ、今はこの分野で働けているからフィット感はちゃんとあるのが良い。

想起した記憶から、なんで30くらいのときは相変わらず生きづらかったんだろうなと思う。何者かになりた過ぎた。いまの同僚、当時の俺と同じ歳くらいの子と仕事してると、もっと大人で仕事もできて、完結してる。いいよなあ。達観はしてるわけでなさそうだけど、健全だ。オフも山登ったりしててライフバランスも良さそうだ。まあ、信州の地の利もあるんだが。俺もそこは充実してる今。

久しぶりにとりとめないことを書きたくなった。結局、まだ何者かになりたい俺は、多少は健全になりながらもここではないどこかへの、模索は続けるんだろうと思う。諦めが悪いのだろうなあ。


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