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こんにちは。上出惠悟です。 現代の「働く」という感覚からは随分ズレているかもしれませんが、職人の仕事は生きることの延長線にあって欲しいと私は考えています。それを教えてくれたのは昨年亡くなった轆轤(ろくろ)師の河田の姿です。河田は何十年も長右衛門窯の敷地内で畑を耕して野菜を育てていました。轆轤仕事を終えれば暗くなるまで畑仕事をし、休日も窯に来てはよく土を触っていました。腕に技術を持っている職人という生き方は、全てがその人の営為の中にあるようで、それはとても理想的で誇り高く見え
こんにちは。上出惠悟です。 最期まで現役の職人を貫いた河田さん。かつてテレビ番組のインタビューで轆轤師という自身の仕事についてこう答えています。 「粘土に逆らったら駄目、僕の品物が駄目だったらその後の工程も全部駄目になってしまう。だから僕の仕事が基本なんです」 実際、河田さんの安定した仕事は長右衛門窯の支えであり、その存在は私たちの精神的な支えであったように思います。工場の2階で仕事をしている絵付師達もきっと、真下(1階)で轆轤を回す河田さんを轆轤の音とともに常に心の隅
こんにちは。上出惠悟です。 今日は5月31日に75歳で逝去された上出長右衛門窯の轆轤師・河田安弘について書きます。普段から”河田さん”と呼んでいたので親しみを込めて以降そう記したいと思います。 先ずはご家族やご親戚の方へ心より哀悼の意を表し、河田さんのご冥福をお祈りいたします。 河田さんが上出長右衛門窯に入社したのは1972年のこと。私が生まれる10年前です。単身で石川県に移り住み、それから50年間ずっと河田さんは毎日轆轤を回していました。私が中学生の時、土曜日は半日で