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夫と竜也とケンイチと。

先日、トイレの床を掃除していた際、それまで寝ていた夫に後ろから話しかけられた。

「これから、こどもって増えると思う?」

思わず振り返り確認すれば、夫はいつも通りの無表情。そして、半裸。いつも無表情だし、いつも半裸なので、ここの部分はあまり気にならない。何より気になるのはその内容だ。確かに子供の人数について聞いて来ている。表情から何も読み取れないとすると、わたしも聞くしかない。

「え、わたしのこども?」

ここで、無表情だった目元に、微細な動き。床に這いつくばる私を見下ろす目は、軽蔑の色を帯びる。軽蔑してんじゃねえよ。こちとら、すでにお前の子供ふたり生んでるんだよ。あと、君が寝ている間に床の掃除しているだんよ、すごいと思わないか?

「いや、コロナの自粛で、そういう人多いのかなって話。」

じゃ始めからそう言えよ。という言葉を飲み込んで、通常わたしに話しかけてこない夫の話に乗ることにする。で、そのあとのやりとりは、忘れた。

だが、その後、ふとした瞬間に、あの無表情に一瞬宿った軽蔑の色が、蘇るようになった。ああ、やってしまったと思う瞬間を思い返しては、身体が汗ばむような事が、わたしにはよくある。本当によくある。やらかした事より、蘇るあの感触の、取り戻せないどうしようもなさは、暴力だ。やらかした内容よりも、あれが、きつい。

突発的な出来事に妙な事を口走ってしまったり、知ったかぶりした何かが露呈し聞こえなかったフリをされたり、絶妙な勘違いを死んだ目でいなされたり、自分が話し出した途端止まる空気の意味が後になって分かったり、苦しくなるほどたくさん、思い返すことが出来る。

失敗した相手の多くは今も付き合っている友人ばかりだ。期待を込めて思うのは、彼らはもう覚えていないのではないかという事。わたしも、話の前後は覚えていない。ただ、シチュエーションと相手のリアクションだけが、何度も何度も蘇る。うわあ、嫌いだわ、自分の事。と、毎回思う。一つ蘇ると何個かつながって蘇ってくるもので、自分ありえないわあ位までは毎回落ち込んで、そこからはどうでもよくなる。さっと、どうでもよくなるもので、不思議だ。

藤原竜也の「新しい王様」というドラマを観ていて、蘇ったエピソードがある。

これはもう私以外は覚えていないだろう思い出です。

10年以上前、わたしは映画企画会社のインターンをしており、プロデューサーに呼ばれ撮影現場へ行くことがありました。インターンと言っても特に何をするわけでもなく、本当に椅子に座って現場を見ているだけで、誰かの役には一切立たないタイプのインターンでした。私以外の人はやることがあり、仕事をしています。完全にお客さんなわたしには居心地がわるいものでした。

プロデューサーにスタジオの奥まった席に座っていろと座先指定され、とにかく静かに座っていると、私の前の席に俳優さんお二人がお座りになられました。適当に並べられ2席ずつ前後に分かれた4席の椅子の前方にあの藤原竜也氏と、あの松山ケンイチ氏です。本物です。4席のうち空いている一席に、わたしは自分の荷物を置いてました。空気の分からなさ、半端ないです。何もわからず座っていましたが、多分ここは、出演者が座る席、インターン座ってたら、ダメなとこ。

一番、暇な人の前に主演俳優は、二人座ったよ。主演俳優は笑ったよ。主演俳優は話しているよ。わたし、ここにいちゃだめだよ。なんか近いし。

プロデューサーの方を見ると、私の方を見ないようにしていることに、気づきました。ああ、あの人、私にサービスのつもりで、ここに座らせたんだ。絶対そうだ。

20代の女の子は、藤原竜也と松山ケンイチに囲まれたら、逆の逆の逆で、もう全然楽しめないんだよ。わたしは、そういうタイプの女だったんだよ、ごめん。まじで、ごめん。無理。キラキラが過ぎる。無理。やべえ、心臓やべえ。助けてくれ。てか、わたしに気づかないでくれ。誰も、私に気づかないでくれ。無視してくれ。それがいい。頼む。画面越しのイケメンならば、ガン見できても、やっぱり直は強すぎる。だって生きてるんだもん。そこで、息しているんだもん。あと、何も役に立ってなくてごめんなさい。ほんと、ごめんなさい。

画面で見ているよりずっと体格の良い彼らの肩越しに、大きなスタジオの天井の隅でも見て、息を止めていようとおもったその時。

「ねえ、後ろに女性が座ってるんだから。」

振り返りながら、こう言ったのは、そう、竜也だった。竜也は、こっちを見ていた。まっすぐ。綺麗だった。目が黒くてさ、まっすぐでさ。こっち見てたよ。駆け巡るよね、そら。体中、妙な物質、駆け巡るよね。で、そら、とっさに妙な事、口走るよね。

「しずかにしてください。」

こう言ったのは、私だ。私以外に居ない。だって、ここには、私しかいないんだから。うん。言ったのは私だ。この場所一番、何にもしてない私だ。そして、本当にとても静かになったんだ。でも違うんだ、わたしは「しずかにしていますので。」みたいのな事が言いたかったんだ。言ってしまった事は戻せない。言いながら、なんともヘラヘラした顔で言ってしまったと、思ってもなんもかんも、すべて遅い。

「ふざけているわけではないんですけどね。」

私の方を見ないようにしながら、ケンイチが言う。なんもしてない奴に静かにしろって言われたら、もっと言い返していいよ。ふつうもっと怒るよ。偉いよ、ケンイチは。全部、私がわるいよ。竜也は、もともと真っ黒で綺麗な目にほんの少し闇のようなものを含み、何も言わず、わたしをまっすぐ見ていた。

という、このシチュエーションだけ、何度も何度も頭の中で、繰り返しているので、もうほとんど現実の出来事だった気がしない。あんなことは無かった、あれは夢だった!と、ちょっと思う。夢だったら、ここから、夢展開が起こり、あれよあれよの、彼ら二人による、わたしの取り合いだ。けんかはやめて、わたしの為にあらそわないで。

現実には、この前後にも何となくのやり取りがあったような気もするが、今となってはどうでもいい。覚えてるのはここだけだ。インターンとして現場を知るために参加していたはずだけど、覚えているのはここの部分だけである。勉強にと現場に呼んだプロデューサーもがっかりだと思う。

書いちゃえば、このエピソードも天に召されると信じて。

ちなみに、あの頃、わたしを現場に呼んでくれたプロデューサーが、監督脚本を担当している「新しい王様」ものすごく面白かった。早く見ておけばよかった。スピード感と、並行で進行する物語のうねり、演者の完成度、すんばらしかった。一年以上前のものですが、イチオシです。



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