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私が恩回しにこだわる理由~note2日目~


#いま私にできること

また、何もできなかった。苦痛を浮かべる先輩社員の顔をただ見つめる他、私は何もできなかった。これで2回目だった。

私は、正社員15名程の都内の小さなITの会社でインターンをしていた。インターンといっても正社員のように朝から夜までのフルコミットではなく、決められた分量の仕事を期日までに終わらせさえすれば、アルバイトのように好きな時間に働くことができた。このインターンの募集画面をwebページで見たときは、『自由な時間の使い方』『離職率0の会社』『ルールの少ない会社』こんな言葉に吸い付けられるように、気が付けば応募ボタンに指が伸びていた。スタートアップの会社だからか、面接から入社もあっという間で、私は晴れてその会社のインターン生になった。

インターン生になってから知ったことは、私を採用してくれたのが社員さんではなく、面接に応じてくれた同インターン生であったこと。その先輩は当時大学4年生で、4月からは正社員として雇用されることが決まっていた。彼女は、男勝りのサバサバした気概を持つ一方、気さくで魅力的な女性だった。また面倒見も良く、憧れの先輩だった。私が仕事で初めての大仕事を前任者から任されることになり、夜遅くまで引き継ぎ資料とにらめっこしていた時も、忙しそうな他の社員の先輩に代わって、帰る時間まで一緒にサポートしてくれた。その先輩と仲良くなるのにそう長い時間はかからなかったし、その先輩と仕事の合間に最近の出来事やハマっていることを話すことが、いつしか私の出社の楽しみになっていた。

私が入社してから9か月後、彼女は会社を辞めた。理由は、部署が移動した先の上司との関係性だった。退社2か月ほど前から彼女の顔が曇っていくのを、私も感じていた。周りのチームの先輩が、彼女を励ましている姿も目の当たりにしていた。しかし、当時学業のほかにも4つの活動に同時にjoinして多忙を極めていた私は週2回ほどしかオフィスに顔を出せていなくて、状況を把握しきることも、彼女に気の利いたことを言うこともできなかった。最もそれは、後輩には優しく、弱みを見せない彼女の最後の強がりのせいだったのかもしれないとも思う。彼女が退職することは、メッセージを通して知ったが、その中にも『いつもオフィスで話してくれてありがとう。』『直接伝えられなくてごめんね。』という優しさしだけが詰まっていた。

それが2回目だった。私は大学1年生の時の集団塾のアルバイト先の新卒先輩社員を思い出していた。私は、その先輩が好きではなかった。塾の講師であるのにも関わらず、『授業が面倒くさい』そう口にする彼を、先生も授業も大好きだった同塾の卒業生として許すことはできなかった。そんなに塾で働くことが嫌いなら、先生にならなければいいのに。そう思っていた。

でも嫌いにもなれなかった。その先輩は、塾講師として教室に馴染むことに苦労していた私を、いつも優しく気遣ってくれた。冗談を言って和ませてくれたり、予習の大変さを共感してくれたり。悪い人でないのは、明らかだった。先輩が塾の生徒のことを、本当は大好きなことも知っていた。その先輩が生徒と授業終わりに雑談している時の笑顔はひと際輝いていた。

塾に居たもう1人の中途社員の先輩が教えてくれた。その先輩が元々は、授業に対してもやる気に満ちた先生だったことを。お金も出ない授業の時間外で、予習をしたり、模擬授業をしたり。とにかく頑張っていた。しかし、その先輩のの頑張りは日の目を浴びることはなかった。例え生徒の成績を上げていたとしても、塾の方針としている『いい授業』のラインには到達できていない。それが塾側の判断だった。逆に規定通り、生徒のやる気を引き出す言葉がけを授業の前にやってみれば、”時間の無駄””そんな退屈な話より授業をしろ”。生徒のひらめきを導き出そうとすれば、”わかりにくい”。そんな上司からのフィードバックが、いつしかその先輩の授業へのやる気を吸い取っていった。その先輩が辞めるのは時間の問題だった。

その後、私自身が諸事情によってその塾を退職することになり、先輩がその後どうなったかは知らない。別に、その先輩は私に助けを求めるつもりなど端からなかったに違いない。まだ大学生のアルバイトで、たまに塾に酒やけしてくるようながきんちょの私になど。きっとそうなんだと思う。それでも、助けが必要な人を目の前にして助けることができなかった。私はそう感じざる負えなかった。悔しかった。何がかはうまく言えない。自分が社会人で、そこの社員だったら解決していたのかはわからない。その先輩の上司だったら良いアドバイスをできたのかもわからない。それでもただ、その先輩が苦しい表情を浮かべる顔を外野から見ていることしかできない、自分の無力さが悔しかったのだ。

そんな記憶が頭の中に蘇って、重なった。その後、インターン先ではもう1人、新卒の先輩がやめたと聞いた。その先輩も、上司との関係に悩み、隙間なく空に詰め込まれた雲のような晴れない表情を浮かべながら働いていた1人だった。結局誰1人として救うどころか、気の利く一言も言えなかった。もちろん転職がダメなことではないし、実際にインターン先の先輩は転職してイキイキ働いていた。ただ、私は自分の無力さに何処にもぶつけようのない憤りを感じた。エゴと言われれば否定しようがないが、それでも私は将来職場の人間関係で苦しむ人を救えるだけの力を身に着けたい。アニメの主人公が強くなることを義務であるかのように強く望むのと同じくらい、そう強く思った。

さて、ここでようやくタイトルに戻って話と進めようと思う。今就活をする中で、『将来働くことで恩返しをしていきたい。そして幸せのサイクルを作り出したい。』気が付けばこんなことを私は口にしていた。しかし、ふと疑問に思った。なぜ、幸せのサイクルを作りたいのか。どうしてそんなに広範囲に幸せを作り出したいのだろうか。なぜ、ただの恩返しじゃないのか。

そして最近やっと気が付いたことがある。私には"返せなかった恩"があるのだ。返したかったのに、返せなかった恩がある。だから『恩返し』が目標なのではなく、『恩回し』がしたい。それしかできないのだ。インターン先の先輩も、塾のアルバイト先の先輩も、私は何もできなかった。だからこそ、同じような悩みの中で今も尚、苦しんでいる社会人を救いたい。今までもらってきた恩を、別の人であれ、同じことに悩む人を救うことでもらってきた恩を回す。それが私の働く意味だと感じているし、私ができる恩回しだと思う。



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