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受け入れて進むだけ

先日、父の七回忌法要を終えた。私も母も一安心。
それにしても、あれからもうそんな月日が経ったのか、と驚く。寂しさとともに生きることには慣れたかな。

ひとしきり悲しんだ後は、言葉にするようにした。亡くなったという事実を周りに伝え、時にはどういう状況だったかさえ話した。母と二人で、あの時はこうだったね、と言うこともある。そうすることで、受け入れて消化して、納得させてきた。
この経験を何かのきっかけにしないと、とも思った。別にそうする必要はなかったのかもしれない。ただ、父の死は私の環境を変え、それは現状をも変えたくなるような出来事だった。歴史でよく見る、BCとADみたいな。生前と死後で、私の世界が変わったような?この時期一度転職したのは、そういう影響もある(ということにしている)。

いつしかそういう意識も薄れていって、それは多分、冒頭の慣れということに繋がるのだと思う。
ただ、数か月前久しぶりにノスタルジー?を感じることがあった。仕事でたくさんの人と会っていた時、同僚から一人の男性を「父です」と紹介された。その時は猛烈に、自分にはこう言う日がもう来ない、ということを意識した。それが悲しいとか寂しいとかではなく、「ああ、そうだな」と思っただけ。

あれから私は結婚して家を建てた。この姿見られないなんて残念だね~(笑)、と思う。 こちらは楽しく暮らしているので、父もご心配なく。

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