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記録する6

遺骨って怖い。
今さっきまで、生身の身体でただそのまま亡くなっていただけなのに、数時間経てばもう骨。

なんか酷(むご)いなあなんて思っちゃう。
恐ろしい文化。
お別れするときより悲しくなってしまうのは私だけなのだろうか。埋めるよりましなのかな。安らかに眠っている状況のままじゃ駄目だったのかな。わざわざ燃やさなくても。でもゾンビみたいに這い上がってきても怖いな。なんて思いながら骨を拾っていた。

こういうことは、後からじわじわと思い出されてまた少し悲しい気分になる。祖母のときのお葬式も思い出される。2親等って結構近い距離だなとも思う。もう少し気にかけてもよかったなとか、もっと話せばよかったな、なんてことも今更考える。

こういうことは前もって教えてくれたらいいのにとすごく思う。無理な話なんだけど。こうしたらいい、ああしたらいいというのは、なにも人生で有利なことだけ教えてくれたらいいわけじゃない。歳をとって思ったことや、小さいときは変な思い込みをしてたなとかでも、私には意外と大事なんだと考えることがある。

今回のこともそうだ、会えなくなるから寂しくて会うんじゃないなと思う。親しい間柄だったのだからもう少し気を配っておかないと、なんだか上手く別れられない気がする。私は私の生活、あなたはあなたの生活と割り切れないこともあると感じた。

小さい頃なんかは全くこんなことを思っていなかった。なんなら最近まで感じていなかったのかもしれない。人は人、私は私だとわずかでも思っている節がある。他者にはなれないから、私の生活をそれぞれ全うして生きるしかない。そう思っていた。

そうじゃなかった。私の生活は周囲の環境でできているし、考え方にも影響されている。影響を与えてくれる人には感謝をしたほうがいい。それだけお世話になっているのだから。なにも、いい影響を与えようと思う必要はない。ただ、そこに存在してくれていることに、ありがとうと伝えることが大事だと思う。それだから、プレゼントをあげるし手紙だって書くのだと、そう思ってきはじめた。

生きているだけでいいんだよ、と言っていた高校の担任の言葉が思い出される。その言葉を身をもって分かり始めたのかもしれない。存在が大事だし、存在してきたことも大事。存在していくことも大事だし、存在しなくなることも大事。それぞれの存在に因果があって、私もその因果に否応なく組み込まれる。

その私とあなたという関係性を続けると、別れるときも、私とあなたでいられる感じがする。私の世界にいたあなたも、あなたの世界にいた私も悪くないんじゃない?ってなりそう。なんだかふわっとしてきたな。

結局はベストを求めるより、悪くないんじゃない?がいいのかもしれない。いいことだけじゃないし、悪いことも沢山あるけど、その悪いことをお互い少しずつ減らしていけたらな、と思う。無理やりいいことしなくていい。ただ会ったときにそっけない態度を取らずに、話を聞いて、話をしてお互いに気にかけ合うみたいなことを忘れずにすることが大切なんだと感じた。

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