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東京思春期日記

東京都思春期日記はいかにも語呂がいいなと思った。スカイツリーは今日も元気と同じ感覚である。

この言葉は花火大会の帰りに思いついた。久々に1人で花火を見たので思いついたのかもしれない。

東京に来て1人遊びが多くなった。元々、1人遊びは得意な方だ。でも、中学生に上がると部活だの何だので1人の時間が減った。友達と遊びに行くことの方が多くなっていた。コミュニティの中で生きていたから、他者と接触する事が増えていたのだ。その中で1人の時間も欲しいなあとは少し思っていたりした。

私の生活スタイルとして、まず1人でモノを見にいって、それから他の人にこれ良かったよと伝える流れがある。もしその人も一緒に行きたかったら一緒にいく。みたいなことが多い。ここ15年くらいはそれが許されなかったと感じるくらい人と接することが多かった。

引越してきて、1人の時間が増えた。人を誘わなくていいなと感じたからかもしれない。そもそも、引っ越した先に友達がいないというのも1つの理由だ。いろいろなコトが絡み合って、とりあえず、まずは私が体験しようと思い始めた。まだ、他人と一緒に見て楽しめる余裕がないのかもしれない。私自身が楽しめないと露骨にテンションが下がったりもするし。

この1人でモノを見るという行動は思春期ごろの私と近いなと思う。引っ越してきて東京を知ろうとする私は、東京思春期なのかもしれない。引っ越した先は千葉なのに。千葉にはモノがないし、語呂も悪い。ので仕方ない。

千葉にはモノがないは流石に言い過ぎかもしれない。千葉県民に怒られそう。東京と比較して、モノが少ないくらいにしておこう。千葉にある某有名なネズミがいるエンターテイメント施設にも行ってないし、まだ千葉を知らないだけかもしれないし。

千葉のことは置いておいて、こんなことを書いていると、子供の頃に家から見えた花火大会を思い出した。正確にいうと東京で見た花火大会の帰り道に思い出していたのだけれど。

家族とみたり、少し家を出てちょっと見えやすいところでみたり、電車一駅分歩いてみたりなどしたなと思い出した。あれも1人でみて、どこどこから見るといいよ、などと翌日言ってたりしたなあと思う。

こっちでもやっぱり翌日は花火大会の話になり、どこどこで見て良かったよなどの話をした。東京思春期真っ盛りなのかもしれない。恥ずかしいけれど。

私が生きることができるようになります。