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伝記はどうして人気があるのか

筆者はプログラムが好きだった。あの頃の自分に戻りたいなってさいきん感じることもある。あるときだ取引先の人にビジュアルスクリプトでマウントをとられてテキストコーディングって全く理解されないんだなって感じた。それをネタに記事を書く。

■ ビジュアルスクリプトはとっつきやすい

僕もプログラムを書いていたころビジュアルで一望できるツールがほしいとおもっていたことがあった。自分の作品なのに人に説明が冗長だしひと目見て知りたいとも思っていた。そういうところも踏まえてビジュアルスクリプトはいいものだ。

だけど経験を積むとわかってくるんだけどいろんな機能がたくさんあってそれらすべてを管理する機能とか必要だったりする。1枚の絵に収めるなら住宅の内観をすみずみまで含めるような無茶だ。水回りの細部や排気口の細部とか例え住宅を管理する人でも全部をひと目でみたいとは思わないだろう。

■ プログラミングは決まりごとをしまう仕事

売りの機能が何個かあるって分かる。残りは必要なときに取り出せる。こういう入れ子になっているのがOSのフォルダ構造だったりする。この仕様をうまく使ってどこのどんな機能なのかコンピュータが引き出せるように記述した仕組みが C言語の .h ファイル (header) だったりスクリプトファイル内の import 文だったりする。

テキストコーディングはあえていうなら「普段は見なくていい決まりごとを記述してしまっておく仕事」だともいえる。だから高度になるにつれてどんどん中身が見えなくなる。なので決め事はすべての機能はそろってる状態でどれだけのボタンでどの機能を使いたいかだったりする。ちょっとカスタムとかほしい機能を見つけて組み込むのに時間がかかるくらい。

■ とり出すことこそプログラミングとも言える

だから一通り書き動かせてしまうと後は書くことよりテンプレとかを取り出すことが大切だったりする。作った中の機能だったりライブラリだったりQ&Aの回答だったりからドンドコひっぱってくる。なにもOSに限るだけじゃない。そうしてソフトはすでに世界にある何かを継ぎ接ぎしてできていく。

これが一昔まえはそうではなかった。今でこそオープンソースは当たり前で共有知も当然だけど企業は機密情報として隠したし手に入れたソフトを解析して再現していく直伝の技のような側面があった。なのでテキストコーディングが崇拝されていたのはそういう叡智のつまったブラックボックスを消化するような生命活動の神秘にふれるおごそかさがあいまってできた念慮だろう。今は package manager でブラウザ操作もせずインストールできる。ドキュメントのメソッドを使う結果は概ね保証かサポートされていて本屋で本を買って読むよりなれてしまえば簡単だ。情報の取捨選択のうまさで出来上がるスピートが変わる。

■ 空いた時間で新しい知識を

自分で書くことが減ったぶんライブラリを読み解いて使えるように理解することが一種の趣味とか楽しみとか一般プログラマの時間の使い所になっている。小銭稼ぎはみんなの興味指数を読むような感覚だ。

プログラミングができるのは当然で数学の知識を併用してデータをだしたり英語の情報から技術情報を日本語にするとか分野を組み合わせると今どきのデータサイエンティストの仕事ができたりするようだ。見た目に興味があればエフェクトの技術を磨くのも楽しいかもしれない。

■ 伝記は伝言ゲームだから人気なのでは

さいきんのビジュアルスクリプトの流れを見ていると簡単に動かせる話がたくさんあるけどこういう前提の話はまず語られることがないのでどう情報収集するのか不思議に感じることがある。

本文の冒頭でビジュアルスクリプトでマウントをとられた話もけっきょくはどうすればプログラムが書けるようになるかを後で聞かれた。当時は単に動画をみて真似てればいいですよとかいったんだけど文章とかでくわしく書き出すまでここまで長い内容をその場で答えることは会話として不可能だからインタビュー形式の質問記事って実は思わせぶりだ。結局は本人が書かない記事は伝言ゲームじゃないかなって。

それが有名人とかすごい人の伝言だと人気になるから世の中は面白い。みんなが買ってる記事はある種のゲームだから売れるんだって納得している。

お子様なのでピルクル買います。ピルクルが燃料です。