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何でも「まあそうか」って思ってみる

少し前まで、私は色んな人の意見を聞いて、自分を精査することが大切なんだと思っていた。

肯定も否定も、様々な声を聞くことで、人は成長するものだから…なんて、高尚なことを考えていた。

実際その通りなのかも知れない。人それぞれ考え方も価値観も違うものだし、色んな角度から物事を捉えられるのは、大事だと思う。

だけど、それはなかなか難しいことだと、このコロナ禍において痛感している。少なくとも、私の器では無理だ。無理だった。

色んな人の声を聞き続けるのは、正直しんどい。

今の世の中は、ロックとバラードとヘビメタと演歌とHIP-HOPとクラシックが一斉に鳴り響いているような感じがする。

もっと身近な少数の人たちの声ですら、色んな音色で聴こえてくる。もう訳がわからなくて頭が混乱しそうだ。

「ロックとバラードとヘビメタと演歌とHIP-HOPとクラシックの中で、どれが正しい音楽ですか?」と問われても答えが出せない。そんな感じだ。


だから、自分以外の声はすべて一旦、「まあそうか」で受け流すことにした。

今はロックじゃなくてジャズの気分なんだよな…と思っても、「ロックって変じゃない?」「ロックは止めようよ」なんて言うと、ロックが聴きたい人はカチンと来るだろう。だけど、ロックを聴くのもジャズを聴くのも、どっちも間違いじゃない。

だから、「まあそうか。この人はロックが良いんだな」と思いながら、私は自宅でジャズを聴く。自分は自分と割り切って、好きなものを選ぶ。知人がみんなロックを聴いていても、自分はジャズの気分なら、そっちを選ぶ。

人は大抵、自分のやりたい事や好きなものを否定されるとカチンとくる。かといって、相手に合わせて自分を押し殺せば、ストレスになる。

中にはそんなことでストレスは溜まらないよって人も居るかも知れないけれど、少なくとも私はストレスを感じてしまう。

だから、誰かと何かが食い違ったときは、ぶつかる前に「まあそうか」でスッとかわすことにした。


そうしたら、結果的に何が残ったかというと、家族と何でもないような話をダラ〜ッとする時間。くだらないことを言い合って、「アホやなあ」と笑う時間。

色んな人の意見を聞かなければ!、と思っていたときは、限られた時間でいかに色んなことをするか、ということに囚われていた気がする。家族はいつも同じ家に居るんだから、離れた場所に居る人と関わるべきだと思い込んでいた。

だけどその中で意見が合わずにストレスを感じたり、輪に入れずに寂しさを感じたりすることも、まあ多かった。

それを思うと、時間も気にせず常にゆるい気持ちで話せる家族との時間は、究極のリラクゼーションなのでは、と思った。

私の場合は家族との時間だけれど、これが趣味に没頭する時間だったり、恋人や友人と話す時間だったり、ゆっくり眠ることだったり、人それぞれ何でも良いのだ。

長年持っていたものを捨てることは、勇気も要ることだけれど、これを機会に一度心にスペースを確保するつもりで、「まあそうか」と断捨離してみるのも良いかも知れない。

『ゆたかさ』というのは、何かを得ることではなくて、実はもっと身近にある、とてもシンプルなものなんじゃないかと私は思う。

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