花束を君に


 キミが家族になったのは、今から26年前。
 台風が近付いていた、残暑厳しい季節だった。

 まだ片手の掌に乗るくらいの、小さな体。
 母猫とはぐれてしまったのか、それとも捨てられてしまったのか。
 どこから来たのかもわからないけれど、キミはどうしてか、我が家に辿り着いた。
 
 毎日うちの網戸によじ登ってきては、嗄れた声で鳴いていたキミ。
 お世辞にも「可愛い」とは言えない、子猫らしくない鳴き声だった。

 そのとき、うちには既に先住の猫と犬が居た。
 これ以上飼ってはあげられないからと、心苦しく思いながら何度か追い払ったけれど、キミはめげずに何度も戻ってきた。
 通りすがりの人たちが、子猫がずっと網戸に張り付いている我が家を、不思議そうに眺めていく。
「私も家族にしてよ!」と、必死に訴えるみたいなキミの声に、とうとう私たちが根負けした。

 我が家に迎えられたキミは、先輩犬とは本当に相入れなくて、顔を合わせるとシャーシャー唸ってばかりだった。
 けれど、先輩猫とは仲良しだった。
 面倒見の良い彼女は、まるでキミのお母さんみたいにいつも傍に寄り添って、毛繕いしてくれていた。
 二匹がくっついて眠る姿に、私たち家族はどれだけ癒されてきただろう。


 やがて私が嫁ぎ、妹も嫁いで、それぞれ家を離れた。
 私が『お母さん』になって程なく、まだ幼い息子を見届けて、先住猫が旅立った。
 数年して、二人目の息子を見届けてくれた先住犬も、大好きな父の帰宅を待って、息を引き取った。


 動物は鋭い。
 私たち人間にはわからない『何か』を感じ取る力を確かに持っていると、私は思っている。
 鋭くて、そしてとても強い。


 私たち姉妹が家を出た後、キミはずっと、両親と祖母に寄り添い続けてくれた。
 子猫の頃から抱っこされるのが大嫌いだったのに、歳を重ねるごとに、家族に甘えてくれるようになった。
 私が実家に帰ると、いつもゴロゴロと喉を鳴らして出迎えてくれる。
 その内、眠くなると自ら抱っこをせがむほどになった。
 私たち娘が居なくなり、先輩猫も犬も旅立って、少しずつ寂しくなっていく家族に、「大丈夫、私が居るよ」と教えてくれていたのかも知れない。


 猫の平均寿命は約15年。長ければ約20年と聞く。
 先住猫は、20年に届かなかった。
 だからキミが二十歳を過ぎても、病気一つせず、元気にしている姿に、私たちまでエネルギーを貰っていた。
 かかりつけの獣医さんにも褒められるほど健康で、そんなキミを見て、齢90を越える祖母も、きっと元気づけられていたに違いない。

 そんなキミも、24才になるとさすがに体の機能が衰え始めた。
 一昨年の猛暑の夏。
 熱中症で体調を酷く崩し、「さすがにもう夏は越せないかも知れない」と家族の皆がそう思った。

 そこから気づけば1年半。
 あの猛暑どころか、更にもうひと夏を過ごし、この冬も越してしまった。
 まだ実家に三匹が揃っていた頃、生まれたばかりだった息子は、この春から高校生になる。
 キミが家族になったとき、私はまだ中学生だったのに。


 そんな息子の受験が無事に終わり、中学校の卒業式を終えた翌日。
 その日、私は本来ならコンサートへ行く予定だったのだけれど、新型コロナウイルスの影響で公演が中止になってしまい、それならと数ヶ月ぶりに実家を訪れた。
 遠方に嫁いだ妹も、偶然帰省していて、とても久しぶりに家族が全員揃った日になった。
 26才になるキミは、少し会わない内に、もう食事も水も摂れなくなってしまっていた。

 ここ1〜2年はほとんど寝てばかりだったキミが、この日は常に誰かに抱かれながらも、一度も目を閉じようとしなかった。
 これまでとは明らかに様子が違っていて、私は胸がざわつくのを感じた。
 もう自力で立てないキミを、家族で代わる代わる抱いた。
 羽みたいに軽い体で、それでもキミはずっと私の顔を見てくれていた。
 私はとても我儘だから、この日の帰り際、いつもは言わない「またね」という声をかけた。
 そう言わなければ、もう会えなくなってしまう気がしたから。


 その翌日、私は昼過ぎから偏頭痛に見舞われ、薬を飲んで横になっていた。
 いつもなら早めに済ませる入浴も、この日に限って後回しにしていた。
 薬が効いて、ようやく動けるようになった直後。
 母からLINEのメッセージが届いた。

 キミが、空へ旅立ってしまった知らせだった。

 時刻は19時前。
 昨日の今頃、キミは私の腕の中に居た。
 確かに私の顔を見てくれていた。
 今になって思えば、キミが昨日、一度も目を閉じようとしなかったのは、偶然家族全員が揃った時間を、1秒たりとも見逃すまいとしてくれていたのではと思う。
 小さかったキミが、あんなにも必死に求めてくれた、家族の姿を。


 母からの知らせを受けてすぐに、店に駆け込んで小さな花束を買った。
 小説を書いているくせに、花の名前もろくに知らない私。
 でも見た瞬間に、「キミだ」と感じた、優しい水色と紫と、ピンクの花束。
 その足で会いに行ったキミの体は、すっかり硬くなってしまっていた。
 けれど、いつも冷たい私の指先より、キミの体はまだあたたかかった。

 私がキミに「またね」と言ってから、丁度丸一日。
 最後の最後まで、キミは本当に家族想いだった。
 私の我儘を聞いてくれて、ちゃんと「ありがとう」と「お疲れ様」を言わせてくれた。

 キミは、私たちの家族で、幸せだったかな?
 私はとても幸せだったよ。
 うちに来てくれて、家族になってくれてありがとう。
 ようやく、三匹揃ってまた賑やかに遊べるね。
 世間は何かと騒がしいけれど、懸命に見届けてくれたキミに恥じないように、私も今を大切に生きていくよ。

 今はまだ寂しくて寂しくて、泣いてばかりいるけれど、充分すぎるほど頑張ってくれたキミを、笑顔で見送りたいと思うよ。

 長い間、本当にありがとう。
 大好き。


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