沿海州の亡霊・第五章~転生したら膝枕だった件
9.ニィナ・ピロゥと膝枕
沿海州ー
沿岸沿いに白い壁と橙色の鮮やかな屋根が連なる街並みを駆け抜ける一台の馬車。
整備された石畳に響く車輪の音・・・
馬車の目的地は、沿海州領主ピロゥ家の屋敷。
車止めに止まると中から大柄の男たちが数名、そして手を添えられながらニィナが降りてくる。
最後に降りた男の腕シュブールが眠ったまま抱かれていた。
銀色の猫の姿で・・・
ニィナは男たちに周りを監視するよう伝えると屋敷の中に入っていった。
門の向こうにスラリとした男が主人の帰りを待っていた。
ニィナ「ジェノ!」
ジェノ「お帰りなさいませ、ニィナ様、
またお遊びが過ぎましたか?」
ニィナ「いつもの嫌味は後にしてちょうだい、
それより、客人に部屋を一つ用意して、
それから着替えと湯浴みの用意を」
ジェノ「・・・これはまた、新しい殿方をお連れになったのですか?父上はかねがね・・・」
ニィナ「嫌味は後で、と言いましたよね?!
とにかく、この方を客間へ。
それから屋敷の警備と守りを固めて。
今夜は賑やかなことになりそうですから」
ジェノ「これは・・・?!まさか!」
ニィナ「そうよ、王都の上級魔導師
シュブール様よ
ジェノ「しかし・・・本当に猫の姿になられているとは!」
ニィナ「猫の姿になって逃げようと考えたのかしら・・・私の膝の上で姿を変えてしまわれたわ」
ジェノ「確かに・・・追っ手の目は欺けるかもしれませんが」
ニィナ「この方には生きて王都に戻って頂かなければなりません。沿海州と王都のためにも・・・」
ジェノ「では、お部屋のお世話も信頼のおける・・・」
ニィナ「私がお世話します!」
ジェノ「ニィナ様!」
ニィナ「ここにシュブールは来てはいない、
私とあなただけの秘密よ」
ジェノ「し、しかしニィナ様のお付きの者たちが・・・」
ニィナ「大丈夫、今日の事は忘れるように暗示をかけてますもの・・・信頼のおける者たちですが、
知っているというそれだけのために彼らの命を危険にさらすわけにはいきませんから。
知らなければ答えることも出来ない。」
ジェノ「・・・ありがとうございます。」
ニィナ「何故あなたが?」
ジェノ「ニィナ様も亡き先代の領主様も、
身寄りのない私や彼らの事を幼き頃より育ててくださいました。
このご恩、私たちは生涯をかけてピロゥ家をお守りする所存・・・」
ニィナは戸惑った様子でジェノを見ていた。
そして、
ニィナ「あら、5年前、私があなたにプロポーズした時にはこんな気の利いた言葉もなく一言で断ったくせに・・・どこでそんなカッコつけのセリフを覚えたのかしら?」
ジェノ「ニィナ様・・・」
ニィナ「なっ!・・・」
ジェノはニィナの顎を持ち上げ、少しづつ顔を近づけていった・・・
ニィナ「ジェノ・・・おふざけは・・・やめてちょうだい!」
ジェノ「私はいつも本気ですよ」
ニィナ「!」
ニィナ「ジェノ・・・」
ジェノ「・・・と、お遊びはここまでにしましょう」
ニィナ「!はぁ!?」
ジェノ「早くシュブール様を元に戻さないと夜には『また』やってきますよ!あなたのお友達が」
ニィナ「わかってるわよ!行きます!」
顔を真っ赤にして怒りながらニィナは屋敷へと入っていった。
ジェノ「やれやれ・・・大きくなられてもあの方は私に恋懺悔をしろとおっしゃる・・・
ひどいお方だ」
シュブールはいまだ猫の姿のままだ
意識が戻る気配もない。
あてがわれた部屋の中央に天蓋付きのベッドがある。
そこにシュブールは眠っていた・・・
ニィナの膝の上で・・・
小さな寝息を立てながら・・・
しばらく時間が流れて・・・
菫色の猫はようやく目を覚ました。
辺りを見回して、膝がニィナのものとわかると
さっと飛び起き、シーツを咥えながら部屋の隅まで走って家具の隅で隠れるような姿勢をした。警戒しているようだ。
ニィナ「逃げないで!
あなたの敵ではありませんの。
あなたは、追われているんです。
私たちの共通の敵に・・・」
首を傾げたような仕草をした後、
猫はゆっくりと人間の姿に戻っていく。
念のために言っておくがシュブールは裸の身体にシーツを巻き付けているだけである。
シュブール「あなたの膝枕も・・・なかなかの沈み心地でしたよ、ニィナ様」
ニィナ「あら、お気に召していただいて光栄ですわ、あなたにその気がおありでしたら、膝のその先だってお見せいたしますわよ」
シュブール「それは大事な殿方のために置いておかれた方が・・・」
シュブールは早足でニィナに近寄り、彼女の顎をクイと持ち上げながら
シュブール「それとも・・・力づくで奪いましょうか?」
ニィナ「あら素敵ね・・・でも残念、私の膝に手をかけようとしたら・・・あなた死ぬわよ」
気配を感じさせることなくシュブールの背後にジェノが立っていた。
短剣をシュブールの背中に突き立て、少しでも動いたら息の根を止めようと言う形相で
シュブール「茶番はもうやめましょう。
お互いにあまり時間は残っていなさそうですから」
ニィナ「残念ね、もう少しジェノを揶揄いたかったのだけれど、ノリの悪い人ね」
ジェノは少し顔を赤らめてニィナを見ていた。
正直な男だと思った。
シュブール「ところで、共通の敵、とは?」
ニィナ「さっき炎の中で見たでしよ?」
シュブール「・・・あぁ、あのコントまがいの安っぽいアクション映画ですか・・・」
ニィナ「失礼ね!あなたがあの場所に式神を貼っていたことは私どもでも把握済みでしたのよ。
他の式神達もね・・・」
そう言ってニィナはクリスタル製の器の中身を机上に広げた。
シュブールが沿海州の至る所に貼ったはずの式神達であった。
シュブール「これは・・・ご丁寧にどうも・・・」
シュブールにとって想定内のことではあったが、全て剥がされているとは考えられなかったのだろう、少し狼狽えているように見えた。
ニィナ「あからさまね、あなたならこれの10分の1で沿海州を網羅できたのではなくて?
それとも、これは私たちへの警告かしら?」
シュブール「そうではありませんよ、なぜ沿海州と争う必要があるのですか?・・・」
ニィナ「・・・そう言えばそうよね、いいわ、
さっきの言葉は忘れて、何か隠してると思って試してみたけど、
少なくとも今は嘘をついていない、でしょ?」
シュブール「ここであなたを騙せたとしても、
あなたの大事な方がずーっと私を見ていらっしゃいますから・・・」
ニィナ「どう?この方は信用するに値するお方かしら?」
ジェノ「ええ、もう問題ないかと」
ニィナ「そう、ジェノの目はそう簡単にはごまかせませんのよ、
そうやって今までもずっと私を守ってくれたのですから・・・
では話を進めましょう」
ニィナは先ほどとは別の式神を封筒から取り出し銀の皿に載せ、
その上から花の匂いがする油を数滴垂らした。
ニィナ「この式神は先の海賊討伐の折、ヒザーラ王子の乗られた艦船に貼られていたものよ。」
シュブール「ええ、王子初の遠征ですしね、私が王都を離れるわけにもいきませんので、あらかじめ乗られるはずの艦に貼り付けておいたのですよ」
ヒサコは傍の燭台から火を取り分け、
式神に火を近づけた。
火は油にだけ燃え移り青白い炎が次第に大きくなっていく・・・
炎の中に二人が見たものは
艦の上で何かを話している男達。
ひとりはヒザーラそして、
もうひとりは・・・
黒いローブを纏い顔がよく見えない。
袖から伸びた腕は折れそうなくらいに細く、
さらに指は節くれだって骨だけのような不気味さで
シュブール「誰ですか?これは。あからさまに怪しいじゃありませんか?」
ニィナ「そうよね、誰が見てもこの艦には似つかわしくないわよね、でもよく見て。
この男に気づいているのは王子だけなのよ、それに・・・」
フードの男の側を兵隊がひとり横切ろうとしている。
だが、兵士は男の横ではなく真正面からぶつかっていくように歩いていくのである。
シュブールは凝視する。
兵士は男に気づいていないのか、そのまま男にぶつかり・・・
シュブール「これは・・・!」
フードの男にぶつかるその瞬間、男の姿はゆらりと揺らぎ、兵士は何事もなかったかのように通り過ぎていった・・・
ニィナ「これは人間ではないわ、おそらくは王子の内に潜んでいる禍々しい存在。
私たちは「沿海州の亡霊』と呼んでいるわ、
そして、その亡霊を呼び込んだのは、
間違いなくヒザーラ王子・・・」
沿海州の亡霊、
戦乱、難破、海賊の襲撃・・・命を落とし、海の呪縛から逃れることができずに怨霊となった悲しい者たち。
海を荒れさせ、船を沈めることもあるため
沿海州の港には海で死んだ者たちを鎮める鐘が備えられ、船出の度に町には鐘の音が響き渡っている。
何十年の間、船の遭難事故は起こっておらず、沿海州の亡霊もただの噂話として人々の記憶から薄れつつあった。
シュブール「まさか・・・!」
ニィナ「あなたは王子が何かに操られている、
そう考えて沿海州まで早駆けで来た。
・・・そうよね?」
シュブール「王子はまだお若いが清き心をお持ちの方・・・そのような方が闇に落ちるとは俄かに信じがたいのですが・・・!」
ニィナ「汗をお拭きなさい、まだお話は終わっていませんわ」
震える手でハンカチで汗を拭う。
現在、王都の王位後継者はヒザーラただひとりである。彼の身に何かあったら、王都の命運は尽きてしまう。
シュブール「王子を・・・亡霊の呪縛から解き放つ手はないのでしょうか?」
ニィナ「無理ね、王子が亡霊を受け入れてしまっている以上、彼自身の意思によらなければ誰の力でも不可能なの・・・」
シュブール「・・・」
海賊の討伐は当初、王都軍の劣勢が伝えられた。
荒ぶる波に船は押し戻され勢いに乗って敵が押し寄せてくる。
傷つき、倒れていく兵士たち
嵐の中、誰もが撤退やむ無し、と考えていた。
だが兵士たちによるとヒザーラ王子が剣を高く掲げると先から伸びた光が雲を貫き、潮の流れが変わり王都軍は海賊達を押し戻し、勢いに乗じて一気に戦況を逆転させたという。
ニィナ「そのような事が王子ひとりの力でできると思う?」
シュブール「あの方は・・・魔術とか呪術より、
剣術とか弓術とか・・・私とは真逆ですから・・・あのようなものを呼び寄せるなど出来ないと思いますよ」
ニィナ「そう、王子からは出来ない・・・つまり」
シュブール「その亡霊の方から王子に近づいたと?」
ニィナ「でしょうね、
狙いはわからないけど、ヒザーラ王子は今も亡霊の支配下にある事だけは確かよ。
問題は、王子がどこまでそれを受け入れているか、
どれだけ魂を抑制されているか、
少しでも彼自身の魂が亡霊の支配に抗えるのであれば望みはあるわ、でも・・・」
シュブール「完全に支配されていたら・・・」
ニィナ「それは彼の『死』を意味するわ、魂を完全に支配されてしまうと本人の意識が出てこられなくなる。生きてはいるけどそれは『死んだことと同義』よ」
シュブール「・・・」
ニィナ「それだけじゃない、
考えなければならないのは沿海州の亡霊の目的よ」
シュブール「しかし・・・」
ニィナ「わかっているわ、さっきも言ったけど、仮にヒザーラ王子を操って王都を支配することが目的だとしても、亡霊たちは海の呪縛から離れることはできない。
たとえ街道を超えて王都にたどり着いたとしても
彼らだけの力では大地や焔の加護を操ることはできない。
でも・・・」
ニィナは俯きながらぶつぶつと自分に問いかけていた
シュブール「どうしました?」
ニィナ「・・・ちょっと、待って。
そんなことありえない!
でも・・・これなら王子が亡霊を受け入れた理由が・・・」
シュブール「ニィナ!ちゃんと説明してください!」
ニィナ「わかったわ」
ようやくニィナはシュブールに向かってゆっくりと話し始めた
ニィナ「これから話すことは、まだ私の推測でしかない。
そして、それは王子にとって最悪の選択をしたことになる。
それは・・・」
シュブール「・・・」
ニィナ「ヒザーラ王子は、
亡霊と契約をしてしまったのよ
海賊との戦いで殲滅を免れるために・・・
亡霊の助けを借りて
でも、これは亡霊によって仕組まれた罠よ
王都を乗っ取ることが目的じゃない・・・
彼らの目的は、人の身体よ!」
シュブール「では、いま王都にいる王子は?」
ニィナ「亡霊の真意がどこにあるかなんて知らないと思うわ、
でも、時間が経てば経つほど王子の心が蝕まれることになる・・・あまりゆっくりはしていられないわね」
シュブール「王都に戻らないと・・・なのですが、そうもいかなくなったようで・・・」
ニィナ「どうなされたの?私の夜のお相手をしていただけるのかしら?」
シュブール「ひとり、客人をここにお招きしてもよろしいでしょうか?」
ニィナ「あら見事にスルーですの?私はあなたがどちらでも構いませんのに」
シュブール「・・・少し良くない方に進んでいるみたいですので、ここで話を聞いてみようと思います」
ニィナ「まあ!」
そして、ニィナの膝に頭を預けていたのは・・・
俺だった。
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