9月6日公開の映画『エイリアン:ロムルス』を鑑賞してきました。
隣に座っていた男の子が、音に反応して何度も『びっくっ!』とするので、2Dで観てるのに、なんだか4Dで観ている気分でした。
映画の率直な感想はあまり好きじゃなかったかな。私はエイリアン映画が大好物ではあるけれど、何かを守りたい気持ちだったり、たくましさなんかを観たいと思っているところがあって、今回はそれを感じなかった。
主人公のレインは弱々しいアンドロイドのアンディを守っていたけれど、途中チップを変えてアップデートされ、アンディが賢くなると、みんなの対応が変わっていたように思う。人の優しさが敵か味方かの条件のもと決まる感じは少し憂鬱な気持ちにさせた。
またホラー感もあまり感じなかった。確かにホラー大好きだし、エイリアンを見慣れてしまっていて麻痺している感は否めませんが、今回の恐怖演出は音に依存し過ぎていたような気がする。
とはいえ、監督・脚本・音響・美術・編集は素晴らしいし、美しいエイリアンの造形美も観れたし、シリーズのテーマもしっかりおさえている良い作品ではありました。特に重力のON/OFFのワイヤで撮影したシーンはスゴイ!
登場人物たちが脱出したジャクソン星は惑星LV-426のことだろうか?でも惑星を取り巻く放電の色が違うな・・・とか、コヴェナント号に積まれていた子たちだったのだろうか?などなど、過去の作品と今回作のつながりを探すのもまた楽しい。
エイリアンを知らない方のために、エイリアンとは何かをざっくり書くと、ウェイランド社の探査がきっかけで見つかった黒い液体は生物に寄生しDNAを書き換え、にゅるにゅるした生命体なって宿主を突き破ります。ウェイランド社のアンドロイドは勝手に地球から移住する人の胚芽を使ってエイリアンを爆誕します。その後、エイリアンの形態はバージョンアップしていき、自身で卵を産み、子宮を持つまでの進化を遂げています。
映画では神の御業である生命というもの人の手で創造すると、死なないアンドロイドが果てない野望を持ったとしたら、こうなるかもしれないよという成れの果ての世界を描いています。
人は脆弱だから「完璧な生命体」を求めがちです。今回のロムルスの登場人物たちは宇宙飛行士でも研究者でも軍人でもなく、労働を強いられている若い人たちでした。脆弱の中の脆弱さんです。その対比はこのエイリアン映画が持っている哲学をより鮮明に描いているけれど、エイリアンはB級映画だから好きなので、一流のスタッフでどんどん哲学的に作り込まれると、なんか違うと思ってしまう。苦しくなってしまう。
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