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『ハウス・オブ・グッチ』映画感想文

公開中の『ハウス・オブ・グッチ』を土曜日に鑑賞してきました。

1995年3月27日。ファッションブランド・GUCCI (グッチ)の創業者の孫にあたる3代目社長マウリツィオが、ミラノで暗殺される。その背景には、グッチ一族の確執と崩壊があった。捜査が難航する中、やがて殺害を指示した黒幕の正体が明らかになる。

監督はリドリー・スコットです。エイリアンやハンニバルをヒットさせた監督で、高倉健と松田優作が出演したブラックレインもそうです。アルド・グッチ役のアル・パチーノに日本語の小ネタを挟さまさせるあたり、少し日本贔屓を感じます。(ディスっている?)

84歳の監督はこの実話をどう見せたかったのだろう…。

鑑賞後に思ったのは、父を殺害された2人の娘さんは、今もこの世界に実在していて、事件から26年経過したとはいえ、この作品に一体どういう感情を持つのだろうか?ということでした。

風化していたことを晒すこと、スキャンダルを面白がって鑑賞しに行ってしまう自分のことを少し考えていました。

レディ・ガガ演じる主人公パトリツィア・レッジャーニは魅力的でした。財産目当てや野望を持ってマウリツィオに近づき結婚したのかもしれないが、彼女は自分の人生の全てを賭けて夫を愛していたことに相違ないと感じさせるカガの演技でした。人をとても好きになればあなたは私で、私はあなたということはあると思うし、失って取り戻せないときに、命を奪うことで永遠に自分のものにする心理は人の性としてあるのだろう・・・

ビンテージのグッチもたくさん出てきて映画に色を添えていました。それらを纏うガガの所作なんかも、その時代を生きてきたの空気感みたいなものをよく切り取っていて懐かしい気持ちになります。

男性監督ではなかなか表現しきれない女心を、ガガの圧倒的な存在感と演技力で、曖昧でありながらも、鮮明に表現できていた印象を持ちました。

アル・パチーノもハマリ役ですね。男前のジャレッド・レトがハゲのバカ息子になりきっていたのにはビックリでしたけど。ここの親子関係には、胸がきゅーっとなりました。

殺害されてしまうマウリツィオ・グッチ役はスターウォーズのカイロ・レン役だったアダム・ドライバーで、彼だけが他のキャストよりちょっと存在感が弱い印象でしたけど、そこはあえてなんだろうな…。

ちょうどこの映画を観に行く前に、テレビ番組で又吉直樹さん×鈴木福くんが対談をしていました。その中で又吉さんが『小説って人生の穴を教えてくれるもの』って発言していました。

遺族感情を揺さぶってまでつくる作品なのかと思う感情と、実話の実写化はリアリティのある人生の穴というものを見せつけ、創作物以上の説得力があって作ってはいけない作品とも言いきれないと思う感情が交差する。

監督がこの作品の権利を得たのは2000年のことですが、当時製作には至らなかったようです。今ならこの作品を鑑賞した世界から、被害者遺族に寄り添う声が上がったリするのだろうか…。

これからも実話が映画化されることはあると思いますが、被害者遺族に対し、権利や興行収入に応じた配当金などの枠組をつくるようなの声が上ればいいのにな…なんてことをぼんやり思いながら…

まぁお金の問題でもないけれど、何もないよりはいいかな。

そうであるならば、とてもいい作品だったと言えるのに。

今はただ被害者遺族の幸せを祈らずにはいられない。

いつも読んでくださり
ありがとうございます٩(๑❛ᴗ❛๑)۶


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