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ふりかえってみたら

前回のつづきです。

はじめての相談室で、これまでの経緯や通院歴等を説明すると「入学前に申請してくれていたら、最初から配慮を受けられたのに」というようなことを言われたそうな。英作文の難しいやつみたいな文章。

「そ、そんなぁ」だった。
申請していなかったため、今期はそのまま、できなかったことはできなかったまま判定される。申請が順調に進んで認められれば来期から配慮が受けられる。それはまぁそうだよね。
しかし、アレによるアレの影響で、勤務が制限されているのと、アレのアレで困難な人が増えて相談件数も増えているので、スケジュールがどうなるかわからない、とのことだった。

でも、こんな風にたいへんなことになる前に申請できたかっていうと・・・
今まではなんとかやってたからな、ってなっちゃう。まさかここまでとは思っていなかったし。っていうかなんなら改善するんじゃ?と思ってたし。でも、主治医にも「え、申請してなかったの?」と言われたから、認識が甘かったのかもしれないな。

うーん、だけど。
そうなるかもしれない、というだけで申し出るかって、それは微妙な問題だし、申請するってことは覚悟も必要で。やってみてダメだとわかってから、わかったからできる訳で。タイミング的には、そんなにシリアスなことになる前のここしかないよな、と思うし、ここで手を打つことができてよかった。

だから、いくらか棒に振ったかもしれないが、もうそれは仕方ない。

それに、入学後だったので親のつけ入るスキもなく、相談から申請、審査、審査後の関係各所連絡に至るまで、アメ一人でやり遂げたことも、逆によかった。
わたしも呼ばれれば、いつでも出向くつもりではいたのだが、お声は掛からず。本人と相談室の方とで終わった。今後の人生考えると、経験値たんまり稼いで、ぐんとレベルアップしたな、と思う。

入学前ならば、わたしが手続きをしていたはずで、気づかないままに、アメの前からメタルスライムかっさらうところだったとは、あぶないあぶない。

当初は本人だけ―?!となり、ハラハラもし、もどかしいこともあったけれど、親が介入できる場面は減る一方なので、困った事態におちいったときに、手続きを踏んだり、要望を出したり、交渉するなどして打開する。この先、生きていく上で、いろんな局面で応用のききそうなプロセスを経験させていただき、この場をお借りして感謝申し上げる勢い。
特殊な個性を抱えている人なので、これからもきっといろいろある。
そうなったときに、やばいことを察知して、しかるべき窓口に出向き、めんどうなステップを経て、周りの理解や支援を得たりして、道を切り拓いてくれたらな、と。

最後、申請がおりて、関係各所に連絡するところ(これもなかなかたいへんそうで、そんなこと自分でできるならこんなことになってないよ!って感じでしたが)まで見届けて、
ひとつ、大人の階段あがったんだなぁ、と、みんなに等しくやってくる式典より、よほど感動が大きかったデス。

相談室に行ってよかったこと。

その1、とりあえずの問題として、整理整頓。
混乱して訳がわからなくなっていた課題やら提出期限やらをあぶりだして並べ替えをしてくれた。
1週間単位でのざっくりとしたスケジュールなども一緒に考えてくれたりして、親が口を出すとケンカになっちゃうし、じゃあ誰がやってくれるのって話だし、本当にありがたかった。汚部屋の片付けをプロに依頼して、収納の見直しまでやっていただいた感じ。

その2、話すことの効果。
みんなには当たり前にできることがどうして自分にはできないのか、それが特性によるものなのか、怠けているだけなのか、自分はダメな人間なのか、等々考えてはいたらしい。
相談室の方は、似たような傾向の人をたくさん見てきているので、自分だけだと思っていたことが「あるある」なんだと教えてくれたり、「こんな風にしてたよ」と知恵を授けてくれる。そういったやり取りでずいぶん気が楽になったらしい。

その3、自分を知ることができた。
手続きをすることになり、どんなことが通常より逸脱しているのか精査するために、検査を受けたり、聞き取りをされた。その作業は、自己と深く見つめ合うことでもあり、辛い面もあったと思うが、自分からは逃げられないので、向き合う機会ができてよかったと思う。
アメはヒトに関心が薄い。感情や内面などに興味がないので、自分を知ることに関してもおざなりであった。自分に特性があることはわかっていたが、それについて知ろうとも、理解しようとしていなかったので、この際「自分」という人間や、同じカテゴリーの人の特徴などを知ることになってよかった。

相談室で危なかったこと。

相談室に通ううちに、「あなたは申請いらないのでは?」と言われたらしい。それならそれで、その方がいいのだが、果たしてそうなのか??という、自己申告の危うさよ。

例えば「最近は朝起きれてます!」と本人が言えば、あちらは良い状態であると判断するだろうが、服薬もして、家族が毎日必死で起こしているからかろうじて「起きれて」るんですけどっていう。本人の言葉が足りないせいで、ニュアンスが変わってくる。こっちはそう簡単に言ってもらっちゃあ困るぜとなる。だから、家族からのヒアリングも入れてほしいなと思ったのだが、なかった。大人になっても親がいちいち出て行くのか、という話になり、どこかで引ける線は引いた方がいいので、仕方ないんだけど。難しいところ。

認められるかどうかはさておき、申請はしてほしい、とわたしからも夫からも本人に伝え、家族が困っていることなどを文面で相談室の方に伝えて、手続きを進めていただいた。

で、この人物はこのような特性があるので、このような点について合理的配慮をする、というようなモノができあがったわけなのだけれど、それを関係各所に本人が連絡し、その反応がそれぞれにさまざまで、質問をして来る方もあれば、了解、で終わる方もいる。そのやり取りの中で、本人が「がんばります!」と言って、文字面通り受け取られたらこわいな、とか。相手のそういったことに対する理解度や認知具合にもよるので、なかなかリスキーだな、と。

そして、今も危機的綱渡り状態は続いているので、配慮されているのかどうか、チョット ヨク ワカラナイ。いや、されていてのアレなのか?オリコミズミなのか、ヨクワカラナイ。

まぁいいや。いい経験をさせていただき、なんらかのお墨付きはいただいたので、やれることはやったので良しとする。

最後に。ふりかえってみたら、たいへんたいへん、と思っていた一年が、そんなにたいへんでもないように書かれていて(わたしが書いたんだけど)、そうすると不思議とたいへんさや、苦かった気持ちが薄れてきており、喉元過ぎちゃったみたいです。お付き合いくださった方、ありがとうございました。

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