見出し画像

キリスト教とフランス菓子

キリスト教の行事にお菓子はつきものです。こちらでは、キリスト教に由来するお菓子をご紹介します。

エピファニーとガレット・デ・ロワ

1月6日はエピファニー(公現節)です。東方の三賢者が流れ星に導かれベツレヘムに到着し、キリストの誕生を確認した日です。「エピファニー」は、ギリシャ語の「Epiphaneia」からできた言葉で、「出現」を意味しています。

三賢者とはエチオピアのカスパール、アラビアのメルキオール、カルデアのバルターザルで、それぞれ黄金、乳香、没薬の贈り物を持っていたといわれます。この3人がベツレヘムに到着し、馬小屋のわらの中に寝かされていたイエスの誕生を確認したのが1月6日です。

異教徒世界の人間が、異教徒世界にキリストの誕生を知らしめたということで、エピファニー=出現とされています。しかし現在ではこの日は人が集まりにくいということもあって、1月の最初の日曜日となりました。

この日に食べるお菓子がガレット・デ・ロワ(王様のガレット)です。このガレット・デ・ロワは一般的にはフィユタージュ(折りパイ生地)の間に、アーモンドクリームをはさんで焼き上げた、たいへんシンプルなお菓子です。

ガレット・デ・ロワ

地方によってはブリオッシュ生地などを丸く焼いたものなどもありますが、必ず紙などで出来た王冠がつき、フェーブ(そら豆の意味)といわれるものが入っています。

年の始めに親しい人たちが集まり、ガレット・デ・ロワを切り分けて、自分の一切れの中にフェーブが入っていたら、そのパーティーの席で王様や女王様になり、パートナーを選んで2人でシャンパンで祝福を受け、その一年は幸運に恵まれるというのです。

フェーブとして本来はそら豆が入っていたのですが、キリストの誕生にちなんだマリア様の像や、布にくるまれた生まれたばかりのキリストや、馬小屋で生まれたので馬の蹄鉄の形の陶器などが使われるようになり、現在では、素材も形も様々になっています。

フェーブ

フェーブを使ってさまざまなことを決めるということは、古代ギリシャ・ローマ時代から行われていたようで、ベブライでは宴会の席では必ず毎回、王を決めるしきたりがあり、ギリシャ時代の豪華な宴会の席では、その会における王を白や黒のそら豆を使ってくじ引きをして決めていたといわれています。

ローマ時代、農耕の神とされる「サトゥルヌ」(または、サトゥルヌス)をたたえる祭り「サトゥルナル」(または、サトゥルナリア)が皇帝ドミティアン(ドミチアヌス)によって行われたが、ギリシャ時代のようにそら豆をひき、その祭りの王を決めていました。この祭りは、12月の17日から23日の間の冬至の日に行われていたのだが、その後1月6日まで引き続き行われるようになりました。

キリスト教が普及するにつれて、民衆はこの祭りを年末の恒例とするようになり、これがクリスマスに変わっていったともいわれています。

ガレット・デ・ロワは、987年のフランク王ユーグ・カペーに始まるカペー王朝の頃から食べられていたようです。ずっと昔は、パンの中にフェーブを隠し、くじ引きに使われていたのですが、次第にお菓子の中に隠すようになったようです。

中世以降、エピファニーは各地に広まり、各家庭で「ガトー・デ・ロワ」が作られるようになりました。現在ではフィユタージュが使われますが、この生地が使われ始めたのは十字軍の時代からだそうです。

ある歴史書によれば、フィユタージュは1453年にオスマンの精油を使って作られ、トルコで発達し、ペルシャで「Bourreck」としてずっと使われていたといいます。

そのルセット(製法)がトルコの料理人によって、ルイ13世、14世の時代にフランスに入ってきたとされています。また、18世紀の初めには、それまでお菓子屋のみが作っていたガトー・デ・ロワの製造権をパン屋にも与えろという紛争が起こり、当時の高等法院で争われたこともありました。

また、革命の後にはこのお菓子を、王様のお菓子ではなく、平等のお菓子と呼んでいたこともあったそうです。

ろうそく祝別の日とクレープ

2月2日は、キリスト奉献、聖母マリアのお潔めを祝うサンドラールですが、ろうそく行列で知られるChandeleur(ろうそく祝別)の日でもあり、この日に、クレープを食べる習慣があります。

クレープ

キリスト教では、Mercredi des Cendres(灰の水曜日)から、復活祭前日までの日曜日を除く40日間の、悔悛と洗礼志望者の最終準備期間のことをカレームCareme(四旬節)といいます。

これは、キリストがヨルダン川で洗礼を受けてから、荒野で40日40夜を断食して過ごしたことにならっていて、この期間は脂肪分や肉類、卵などは口にすることができません。

カレームの直前に、各地で存分に肉を食べ飲むお祭り、つまりカーニヴァル(謝肉祭)が行われます。カーニヴァルは、「肉よさらば」という意味です。もともとはカトリックではない異教のお祭りに起源があったとされ、それがキリスト教のお祭りと融合しました。厳しい冬の生活の中で春へ向かって悪魔払いをするという意味もあったようです。

そしてその最終日がマルディ・グラMerdi Gras(謝肉の火曜日)。マルディ・グラの日には、中世の昔からフランス各地で、クレープを食べる習慣があります。

「ろうそく祝別」という祭りはキリストの降誕に由来するといわれていますが、もともとは春の光の訪れを祝う異教徒の祭日であり、農作物の豊穣、繁栄を祈る民俗的な風習も含まれています。

教会ではろうそくの代わりに松明が使われることが多いのですが、その炎は農作の敵とされる悪魔、雷、死を遠ざけるといわれています。そしてその炎を一晩中燃やして、豊作を祈ります。

ローマ時代には同じようなろうそく祭りを2月15日に行っていたようです。2月15日は豊穣の神Lupercus(リュペルキュス)の日で、同時に愛をさえずる鳥たちの姫はじめの日だと言われてきました。ところがその前日の2月14日は、ローマ帝政時代に兵士の自由婚禁止令に反抗し、処刑されたバレンタインの日でもあることからローマのリュペルキュスの祭りとまぜこぜになってしまいました。

2月2日とイエス・キリストの関係ですが、この日はイエス誕生から40日目にあたり、キリスト教の世界では聖母清めの日であるといわれています。ユダヤでは子供が生まれて40日後に教会へお参りする習慣があります。

そこでキジバトを生贄に捧げる儀式が行われるのですが、その際に聖シメオンは、この幼子イエスの悲劇の運命を聖母マリアに予言したと伝えられています。

このような経緯もあり、5世紀に入ると時の教皇ジェラーズ1世は、もともと異教徒の神ュペルキュスの祭りであったこのろうそく祝別を、キリスト生誕40日を祝う祭りとして認めました。

この日、家庭ではクレープを焼きます。片手にコインをにぎってクレープをうまくひっくり返すことができれば、その人は1年間幸せに過ごせるといういわれがあります。ちなみにクレープは、その形状と色から恵みをもたらす太陽を象徴しているのだそうです。

復活祭とチョコレート

復活祭(パック)は春の訪れや復活や再生、希望を祝う行事です。復活祭の日は、春になって最初の満月の後の日曜日と決められています。暦上は、春は3月21日から始まるので、復活祭は3月22日から4月25日の日曜日となります。キリストが復活した日と、春の訪れがちょうど同じ時期にやってくることから、宗教的な行事と合わせて、家族や友人が集まる日となっています。

復活祭以前には、ユダヤ教徒のお祭りで「過ぎ越しの祭り(paque)」というものがありました。キリストの最後の晩餐という話は、この過ぎ越しの祭りを祝うものでした。

このときキリストは弟子の一人であるユダに裏切られ捕まり、十字架に貼り付けにされ亡くなります。そして、キリストの死を看取った、マグダラのマリア、小ヤコブとヨセフの母マリア、キリストの母マリアの姉妹サロメの3人の女性が遺体を引き取り、墓に埋葬しました。

そして土曜日の安息日1日をおいて日曜日、 キリストの遺体に香油を塗ってあげようと墓を訪れた3人は、その墓が空になっていて代わりに白衣をまとった若者に会い、キリストは復活したと告げられます。キリストはその後、マグダラのマリアの前に初めて現れた後、弟子たちの前に次々と現れ、自分の考えを伝え昇天していったと言われています。

フランスでは、復活祭の次の日、すなわち月曜日は祭日となります。この日は、キリスト教の習慣に基づいて復活祭の前日まで続いた肉食断ちの後、復活祭当日に食べ過ぎた体を休め、身を清める意味があるといわれています。

復活祭にはチョコレートをプレゼントするのが習慣です。お菓子屋さんにはチョコレートで作った卵やウサギが店頭に並びます。卵の中に、フリチュールという小魚の形をしたチョコレートや、リキュールやガナッシュが入った小さな卵を入れたりします。

パリのショーウインドー

卵は生命の輪廻、誕生を表します。100年ほど前から、復活祭のお祝いに卵をプレゼントする習慣があったといわれています。また、卵を豊穣の象徴とする説もあります。

かつて新年はこの復活祭から始まり、新年には必ず卵を食べてお祝いをしていました。ところが16世紀になってシャルル9世が新年を現在の1月1日に変えたため、卵を食べる習慣だけが復活祭に残ったといわれています。

子供たちが卵や卵型のチョコレートを家の中や庭に隠して宝探しをしたり、家々を回って卵を集めたりする風習もあります。ウサギは子供を多く産むことから、豊かさや富をイメージさせます。起源は東洋文化からといわれています。

また、「ニー・ド・パック」という鳥の巣をかたどったケーキやブリオッシュも登場します。このケーキは、エンゼル型でスポンジ(ジェノワーズ)を焼き、スライスして、コーヒー味やプラリネ味のバタークリームやガナッシュなどをサンドして、まわりに同じクリームを塗って鳥の巣のような模様をつけ、へこんだ真ん中にはチョコレートで作ったコポーや卵を盛りつけ、鳥の巣を表したものです。

アルザスではアニョー・パスカル(子羊の形をしたビスキュイ)がショーケースに並びます。これは、過ぎ越しの祭りにいけにえとして子羊を食べていた習慣によるものと思われます。

アニョー・パスカルの型

サン・ニコラの祝日とクリスマスのお菓子

12月6日はサン・ニコラ(聖ニコラウス)の祝日です。

サン・ニコラは280年に現在のトルコで生まれた実在の人物で、子供や学生の守護聖人とされています。この聖ニコラウスはオランダ語ではシンタ・クラースとなり、これがオランダからの移民達によってアメリカに伝わり、サンタクロースになりました。

クリスマスに欠かせないのはクリスマスツリーやリースですが、これらの飾りに使われるさまざまな常緑樹は、永遠の命を表しています。ツリーの起源はドイツにあるといわれて、クッキーやりんご、木の実などが飾られます。人の形のクッキーはキリストの身体をあらわす「生命」の象徴であり、りんごはアダムとイブの禁断の果実から「死」の象徴であり、これらを飾る事でツリーの中で「生と死」を表現しているのだそうです。

フランスで最も食べられるクリスマスケーキは、「ビュッシュ・ド・ノエル」(薪の形のクリスマスケーキ)です。キリスト教以前から、世界各地には木を燃やして悪を払うと言う意味の儀式がありました。これがキリスト教にも引き継がれ残っています。また北欧では、薪を燃やすと暖炉の煙を伝って幸福がもたらされるという神話もあります。

「昔、貧しい青年が、クリスマスに彼女に何かプレゼントしようと思ったが、お金が無くて何も買う事ができない。考えた彼は森へ行き、薪を一つ拾ってきた。そして、その薪を心をこめてプレゼントした」。このお話をもとに誰かがビュッシュ・ド・ノエルを作り出したともいわれています。

ビュッシュ・ド・ノエル

ドイツで食べられるクリスマスのお菓子は、「シュトーレン」です。白い粉砂糖がたっぷりかかったかまぼこのような形のこのお菓子は、おくるみに包まれた生まれたばかりのイエスの姿といわれています。

シュトーレン

アルザスには、以下のような独特クリスマス菓子があります。ちなみにアルザス地方は、クリスマスツリー発祥の地とされていて、フランスではクリスマスの首都といわれています。

Bredle(ブレデル):ミニクッキー。バター系のもの、アニス系、シナモン系など、バリエーション豊富。
Berawecka(ベラヴェッカ):たくさんのドライフルーツをパン生地でつないだ棒状のねっちりとしたお菓子。
Christstolle(クリストシュトール):ドライフルーツ入りのパン菓子。ドイツのシュトーレンが伝わって入ってきたもの。

ベラヴェッカ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?