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京都最強の縁切り神社『安井金比羅宮』と日本三大怨霊

安井金比羅宮(やすいこんぴらぐう)は
悪縁を切り良縁を結ぶ神社。

といわれると、さぞやドロドロの神社なのかと思われるかもしれませんが、参拝客は若い男女が多かったので、案外明かるかったです。ご縁は切るだけでなく結んでもくださいますので、カップルで訪れてもいいようです。

第38代天智天皇の御代(668~671年)に、藤原鎌足が一堂を創建し、紫色の藤を植え藤寺と号して、家門の隆昌と子孫の長久を祈ったことに始まります。

第75代崇徳天皇(在位1123~1141年)は、特にこの藤を好まれ、寵妃である阿波内侍(あわのないし)を住まわされました。

崇徳上皇は、保元の乱(1156年)に敗れて讃岐(現、香川県)へ御配流ののち、崩御されます。そのさい阿波内侍は、上皇より賜った自筆の御尊影を寺中の観音堂にお祀りされました。

御祭神は、崇徳天皇、讃岐の金刀比羅宮より勧請した大物主神、源頼政公。

特徴的なのが、絵馬の形をした『縁切り縁結び碑(いし)』です。高さ1.5メートル、幅3メートルの巨石で、中央の亀裂を通して神様のお力が円形の穴に注がれているといわれています。縁切りや縁結び、復縁の効果があるそうです。

参拝の順序は
1)御本殿に参拝
2)「形代」(身代わりのおふだ)に願い事を書く
3)形代を持って、願い事を念じながら碑の表から裏へくぐる
4)形代を持って願い事を念じながら碑の裏から表へくぐる
5)形代を碑に貼る

御本殿

もちろん私もやってみましたが、『縁切り縁結び碑』の穴が意外に狭く、手の力だけで進まなければいけないので、けっこう大変です。

切ってくださるのは、男女の縁はもちろん、病気、酒、煙草、賭事など、全ての悪縁だそうです。いやな上司とか、だめな自分とか、いらない感情なんかも切ってくれそうです。

近くに、「崇徳天皇御廟」があります。
阿波内侍が崇徳上皇の遺髪を埋めて塚を築いたといわれ、月命日の21日には毎月、白峯神宮の神職が奉仕されています。

上皇は血書をもって京都への御還幸を願われましたが聞き入れられず、”憤怒の御姿”のまま1164年夏、46歳にて崩御されました。その頃京都では、上皇の怨念によるたたりの異変が相次いで発生したため、”怨霊(おんりょう)”として恐れられました。

今では上皇は、人々が御自身のような悲しい境遇にあわぬよう、幸せな男女のえにしを妨げる全ての悪縁を絶切って下さっているそうです。
よかったです。

■日本三大怨霊

ということで、崇徳上皇は「日本三大怨霊」に数えられています。
3大といいつつ、候補は4人いらっしゃいます。

「怨霊」というのは、無実の罪で恨みを持って亡くなった人が、災害などが起きたときに”誰々のたたり”と認知されるとなります。つまり、亡くなっただけでは怨霊にはならず、”誰々のたたり”と人々に認知される必要があります。

ちなみに、「御霊(ごりょう)」と「怨霊」は元々一緒で、元々人間だった方。怨霊は人に禍をもたらす霊で、御霊は、怨霊を正しく祀り、人のため世のためにパワーを使えるようになった霊のことです。

●早良親王(崇道天皇)
桓武天皇の弟。暗殺事件を起こした疑いをかけられ、淡路島に島流しの途中で憤死。その後、都に天変地異が起こり、関係者が死亡。亡くなられた後、天皇として祀られました。

祀られているのは、京都市左京区上高野にある「崇道神社」

●平将門
新皇を名乗って天皇にはむかい、藤原氏に疎まれる(民衆は応援していたらしい)。

祀られているのは、東京神田の「神田明神」、大手町の「首塚」、九段の「築土神社」

●菅原道真(火雷天神)
頭脳明晰で大出世したので、藤原氏が無実の罪で大宰府に左遷。その後病死。会議中に雷が落ちて藤原氏や天皇が死亡。

祀られているのは各地にある「天神様」

●崇徳天皇
源平の時代に後白河法皇におとしめられ、讃岐に島流し。反省したのに許してもらえず、”日本の国を潰してやる”という呪いをしたとか。
金毘羅宮の白峰神宮に祀られていたが、明治維新で京都へ帰還させて白峯神宮を創建。けまりがうまかったということで、サッカーの神様にもなっています。

祀られているのは、京都「白峰神宮」、讃岐「白峰宮」

※三大怨霊というときは、崇徳上皇・菅原道真は確定で、あとのひとりは早良親王か平将門のどちらかが選ばれるようです。

※怨霊は、神様として祀り、祭祀を丁寧に子孫まで続けなければならず、祭祀をやめると、怨霊に戻るともいわれています。


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