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ちょっくら鎌倉 #2 実家整理と本覚寺の人形供養

**実家整理はなかなか進まない**

半年前に父が亡くなって実家には母一人。母はよく言えば、大変物持ちが良い。母が一人になる前から、モノでいっぱいの実家をなんとかせねばと思いつつ、結局切羽詰まるまで手をつけてこなかった。

実家まで車ですんなりいけば約40分だが、大概渋滞は避けられず、1時間ほどかかる。時間が取られる不便さに足が遠のいてしまっている。スープの冷めぬ距離を ”自立”という言葉でお互いに尊重した結果が今更悔やまれる。

実家に行く日は結局買い出しや掃除、母一人ではできない諸用、病院への送迎などでなかなか実家の整理までは手が回らない。それでもそんなことは言っていられない。少しずつでも片付けを進めなければ。

先日、母が古い京人形と羽子板を出してきた。昭和も初期の頃のもので、黄ばんだ布と綿で覆ってあった。

母はいわゆるお嬢様だったので、人形自体は質のよいのものだと思う(母談)。抱き人形なのに男の子の人形とは珍しいが、かわいらしいというよりは少しきりっとした顔立ちの、それでいてつぶらな瞳が愛らしい人形である。ただ、ところどころ塗料がはげており、傷みも多い。

羽子板は木目込み羽子板というのだろうか、こちらも男の子で「義経」という名がついていた。勇ましくポーズをとっているが、これも踏み出した足の部分が破損している。

「もう処分したいんだけど。」母が言った。

人形の処分ほどやっかいなものはない。
私自身に思い入れはないが、それでも人形の顔をみてしまうとしのびない気持ちになる。
「箱に塩を入れて普通のゴミとは別にして、くるんでゴミに出そうか。」
そう話していたとき、ふと思い出した。鎌倉の本覚寺では1年に1度人形供養がある。そうだ、人形供養してもらおう。

羽子板に関しては普通にゴミとして捨てるつもりだったが、なんとなく気が進まず、ネットで調べたところ羽子板の査定をしてくれるという古美術店を見つけた。わざわざ店舗に行かなくても、画像と必要な情報をSNSで送るだけで事足りるようだ。

査定に出すことがなんとなく恥ずかしくて数日間そのままにしていたが、LINE査定なので顔を合わすこともないしと、思い切って連絡してみた。
その結果値段はつかなかったが、このサービスを利用したことですっきりし、気持ちに踏ん切りがついて処分できそうな気がする。

**本覚寺の人形供養**

人形供養をしようと決心がつき、これまたネットで調べると本覚寺の人形供養の受付は9月1日から30日までとのこと。人形の処分の話が出たのが8月だったので、まもなくである。早速本覚寺に電話してみた。

供養は10月第一日曜日だが、今年は昨年同様コロナで供養自体には参加できないとのこと。電話での問い合わせで、人形はどんな素材でも構わないこと。9月30日までに受付に直接持って行けばよいこと。供養料の目安は何体でもミカン箱に入る程度で5千円くらいで、量によって料金が変わるので、受付で言われた金額を納めればよいことなどを教えてもらった。

本覚寺は鎌倉駅から徒歩5分、若宮大路を少し入ったところにある。鎌倉江ノ島七福神のひとつ、夷様がいらっしゃる夷堂と本堂がある。お正月には鎌倉えびすがあり、商売繁盛を願う人たちで賑わうところである。

先日、鎌倉に用事があったので本覚寺にも寄るつもり出かけた。出かける前にあらためて人形に別れをし、布に包み直した。

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門前には「人形供養受付」の看板が。受付には私の前にも一人、人形を預けている人がいて、人形供養に訪れる人が案外多いことを再認識する。氏名と住所をノートに書き、人形を布に包んだままお預けした。ここでお別れ。

私の場合人形が1体で、供養料は千円だった。
供養は読経後、お焚き上げしてくださるらしい。ゴミとして捨てずにすむと思うとなんだかほっとする。母にもいい報告ができそうだ。

暑くて汗ばむ一日だったが、すっきり晴れ晴れとした気持ちになった。

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