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我が人生の岐路の話⑤

離婚後のそれから…

いつもお立ち寄りいただき、ありがとうございます。

久しぶりの振り返り記事です。
自分がボケた時の為の記録に…☺️

長年耐えてきた冷酷夫との離婚の後は、母子3人そこそこ明るく生活していました。
娘達が中学〜高校〜大学〜社会人まで、義母の生前贈与で買ってもらったボロ屋で暮らしていましたが、ボロ屋故になかなかお金が掛かりました。
子供の生活費を一人につき5万て… やっぱり足りない。
仕方ないので安い賃金のパートをダブルワークしていました。
シングルマザーの仕事場の条件は、自宅から近い事だと思います。
それを第1条件に職探しをすると、時給は最低レベルの会社ばかりでした。

幸い丈夫な体と精神に恵まれ(ラスボス感ありありの母の子です)生活はギリギリながらそれなりに生活出来ていました。

そして、
男勝りだった長女がいきなりの授かり婚を遂げて独立。
その後、下の娘も社会人になると同時に独立。
友達とシェアして都内のマンションに引越して行きました。

しばらくすると、長女がひとりの私を心配するようになり、やたらと再婚を勧めてきました。

再婚はしない
と、決めていましたが、再三娘に勧められ、
親がひとりなのはそんなに心配なの?
再婚した方が安心するの?
と、段々再婚の方向に傾いてしまい、婚活始動してしまいました。

2年後、再婚。
若い頃と違って、あまりときめきも高揚感、幸福感もなく、
ただただ、今度は失敗しないように、まともなヒトと御縁がありますように、
と、そればかりを見極めようとしていました。

要は、子供達に紹介しても恥ずかしくない人。

結果…
再婚は果たしたものの、1年ちょっとで終わりを迎えました😅

なんでみんな嘘つきなんだろう…

生活拠点は神奈川県
のハズだったのに…
しばらくすると、将来は北海道の両親の面倒をみて欲しいとか、
今は元妻と暮らしている子供の面倒を北海道でしてもらうことになるかもしれない…(元妻に男が出来たから)とか、
ほぼ、家政婦、ベビーシッター、介護要員目的の結婚でした。

しかも、
だんだん屁理屈体質が露呈してきて、
【うざい男】と化していきました。

どこにでかけても、奴と一緒だと面白くなくなっていました。

今も忘れられない超ど級の屁理屈が、
【新東名】事件でした。

「新東名通るよね?」

「新東名って、何? 第二東名高速道路のこと?」
「僕たちは第二東名って言うよ。」

「僕たち、って誰たち?」

「僕の同僚だよ。会社の人達。」

「へ〜、世間一般じゃ、新東名っていわない?」

「言わないよ〜、第二東名だよ。」

「あ〜、そうですか〜。」(言うだろうが!)

で、
終わらせたつもりが、ずっと新東名と言ったわたしを小馬鹿にしたような口調でグチグチ長々言っていました。

本当、面白くない。
なんなのこいつ? な感じが毎日でした。

精密機器のプログラマーだった奴は、何かと人を小馬鹿にする性格でした。

知らなかった… 😔
知らなかった、と言うよりは、
結婚するまで良い人を装っていた と奴は言い切りました。

ビックリ… また騙されてしまいました。

トドメは、
妻の父親の名前を… 
古すぎて笑える!
面白い!
「本当の名前なの?!」🤣
と何時間もイジリりまくる。。。
まるで小学生の意地悪男子のようでした。

バカなのか…?

父の名前は、◯兵衛という古風な名前。
戦前の男子の名前にはありがちな名前です。
とうの昔に亡くなっていますが、
まさか、
父も娘の夫に名前を笑われまくるとは思いもしなかったでしょう。

この私が、円形脱毛症になるほど日々のイライラが募り、
別れてもらいました。
慰謝料なし。

そして、
またひとりに戻りました。

何1つ煩わしいことが無い自由なひとりがやっぱり最高です!✨\(^o^)/

それでも…
長女がひとりのわたしを心配するので、元義母からもらったボロ屋を売却。
東京都のすぐ隣に大きめの戸建てを購入し、わたしの部屋も作って貰いました。
娘の旦那さんを少しあまやかしてしまったかな…とも思いますが、わたしの老後に何かあれば借りは返してもらう事になっています😆

もうすぐ63歳
落ち着ける日は近いのでしょうか?

現在、母が亡くなってしまい借家の維持がネックになってきました。
そう簡単に今の借家を解約する気持ちにはなれません。
年金をまだいただけないので、あと2年
経済的に厳しい日が続きます。

貧乏生活を楽しみに変えて…
今を乗り切るサバイバルゲームがしばらく続きます💪😤

















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