我が人生の岐路の話②

いつもお立ち寄りいただき、ありがとうございます。

社会に出たあとの次の人生の岐路といえば、わたしの場合は【結婚】でしょうか。。。

仕事も大変ながらそこそこ働く楽しみを見つけ働いていた青春。
花の金曜日、ノー残業デーの水曜日はもれなく上司に呑み会につき合わされ、今では違法となる年齢でアルコールにもメキメキ強くなっていきました。
アルコールに強くなった要因には、体質の他に過干渉な母親の存在があったと思います。

仕事で遅くなれば、「男でもできたの?」と平気で低俗なぶっ飛び発言を放ちます。
普段は普通の母親を装っていたのに、中身は違っていたようです。

寒さの中、家の外で帰りを待っていたり…
ずっと「男がいる。」と思っていたようで、証拠を抑えようとしていた様です。
【男】ってなんだかなぁ…
そんな風に考える母が嫌で嫌でたまりませんでした。

呑みに連れ回され… 断れたのに帰らなかったのは満更飲み会が嫌いではなかったし、そんな母が居る家にも帰りたくなかったからです。
ある日、日付が変わってしまった呑み会で、流石に上司も罪悪感を感じ、先輩に家まで送るように指示しました。
きっと母が外で待っている、と思ったので断り続けましたが家の近くまで送っていたただく事になってしまいました。
社会人1年生だったのでまぁ、そうなりますよね。案の定、母が立っていて先輩を確認。
表向きはしっかりお礼を言っていましたが、後から散々下衆の勘ぐりの日々が続きました。
当時のわたしはイモで不細工だったので、男、男と疑う母が異様に見えました。

そして、
その後持ってきた縁談が40歳を過ぎたおじさん… 家を出たくなる気持ちが倍増していきました。
「(私の習い事の先生から)頼まれたから仕方なくだよ。」と、母。
まだわたしは19歳。

断れよ!
と思いました。

そんな母が嫌で嫌で仕方ないのに、一人暮らしする事も猛反対されていたので、
結婚するしかない方向へ考えは傾いていきました。

そして、23歳の時に結婚することになりました。社内結婚です。

この時、父は持病が悪化しいつ亡くなってもおかしくないと言われていたので、更に結婚へと急いでしまっていました。

式には父は参加する事は叶わず…
病院に挨拶に行き、なんと新婚旅行に旅立ってしまったのでした。
なぜ、ここで旅行にいってしまったのか…
旅行しないと言う選択肢が無かったことが悔やまれます。
それ以前からあったマリッジブルー…

成田離婚とか挙式ドタキャンとか、身近な人のこんな話を聞くと流れに逆らえなかった自分に悲しくなることも多々ありました。
当時の夫を… あまり好きでは無かったのかも?
と言うより、結婚してから段々現実が見えてきたというのが正しい表現だったかもしれません。
急ぎすぎました。

グアム旅行の3日目、父の訃報が届きました。

ホテル側から、
同姓同名の人が居た為、1日連絡が遅れました。
との説明がありましたが、同姓同名の旅行者がいた事は、今でも信じてはいません。

わたしたちは、急いで帰国しましたが、旅行に出てしまった後悔の念は一生消えることはありません。

こんないわくつきの結婚でしたから、後々、やはり…
な方向へ進んだのです。







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