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【2日目】日本のてっぺんで謎の視線を感じた時の話

めちゃ更新サボってました申し訳ありません()


おはようございます。

一夜明けて窓の外を見てみると、かなり怪しい雲行き………
TVで天気予報を確認してみると何やら道北エリアはあまりよろしくない雰囲気。
とはいえせっかく来たし…と思い、予定通り日本最北端のあの場所を目指すことにしました。


9:39 稚内駅前バスターミナル発


宗谷岬
ここが日本の北の最果て
生憎の荒れ模様…
天気が良ければここからサハリンが見える
本当に遥々やって来たなぁ…
あまりの強風+雨ですぐに丘の上の建物に避難…

10:29 宗谷岬着


稚内駅前から路線バスに乗り約50分、目的地の宗谷岬に到着しました。

予報通り天気は相当な荒れ模様…
雨はそこまででもありませんでしたがとにかく風。
風が強いのなんの。
とてもゆっくり観光できるような状況ではなく、ササっと写真だけ撮影してすぐに近くの建物の中に避難。
天気が良ければ海の向こう側にサハリンの姿が見えるそうですが、この荒れっぷりでは当たり前ですが全く何も見えません…



建物内には南樺太の歴史を解説する展示が
年表付きで勉強になる
樺太の旧地名
北海道と同じくアイヌ語由来の地名が多い

建物内は観光客向けの休憩所兼展望室のようになっていて、樺太の歴史を伝える資料なんかも展示されていました。
私は某北海道が舞台の金塊を見つけるために網走監獄の囚人たちを追うゴールデンなカムイの漫画の大ファンなのですが、その中でも当時の樺太での暮らしを知れるお話が描かれているので、かなり興味深い内容でした。
ゴカムはいいぞ………………(オタク特有の唐突な布教)


さらに丘の上へ登った先になにやら建造物が…
ここは大岬旧海軍望楼跡
明治の時代から宗谷岬は国防の拠点だった
こういう軍事史跡は道内では貴重な気がする


展望室の建物の所からさらに丘の上へ登ると、何やら年季の入った建造物が………
大岬旧海軍望楼という軍事史跡で、稚内市の有形文化財に指定されています。
帝政ロシアとの国交が悪化し始めた明治35年(1902)に、国境の備えとして旧帝国海軍が建設したものです。
明治38年に日露戦争がはじまると望楼の役割も一段と重要性を増し、当時最強といわれたロシアの艦隊がこの宗谷海峡を通過する可能性があったことから、海上監視に重大な責任が課せられていました。
日露戦争の終結に伴い望楼の使命は終わりましたが、その後太平洋戦争の際には対潜水艦監視基地としても使用されていたそうです。


丘の上から宗谷岬を眺める
こっちは日本海方面
オホーツク海方面
こっち側の海岸線をずっと伝っていくと紋別・網走に着く
宗谷岬から各地への距離
ここからだと利尻島・礼文島よりサハリンの方が近い


丘の上から景色を眺めてみようと登ってきたものの、登るにつれてどんどん風が強くなってきました………
標高が高いところの方が風が強くなるものですが、正直普通に立ってるのも難しくなるレベルの凄まじい強風…というか暴風で景色どころじゃありませんでした。

私これまで暴風が危険なのは色々と物が飛んできたりするからなんだと思ってました。
もちろんそれも間違いではないのですが、風が強すぎて立ってられないなんて初めての経験だったので、真面目に命の危険を感じるレベルでした………


一通り見るものも見たし写真も撮れたし、何より命の危険を感じるレベルの暴風に晒されていたので、後は下の方にあるお土産屋さんでも見てこようかと思って階段を降りようとしました。

その時、何やら近くから視線を感じました。

こんな暴風吹き荒れる中丘の上まで写真を撮りにくる物好きなんて近くには私くらいしかいません。
さっき一緒にバスに乗って来た他の旅行者の方々はみんな先程の展望室の方にいます。

一体誰が………………




いや鹿。

めっちゃ鹿。

完全に鹿。


階段の横はやや背が高めの草むらになってて最初は気付かなかったのですが、草を食みに来たであろうエゾシカがこっちをじっと見つめてきてました。
ナズェミテルンディス!!

稚内を含む道北エリアは道内でもトップレベルにエゾシカの生息数が多い地域で、市街地でもそこら辺を普通に歩いてたりするそうです。
人通りの良い道ならぬエゾシカ通りの良い道なんかもあったり…するのかな()
こうして観光客として遭遇する分にはまだ良いのですが、エゾシカは現地の方々からしてみれば害獣です。
令和二年度の調査によると、北海道における野生鳥獣による農林水産被害額は50億円となっており、そのうちエゾシカによる被害額は40億円と8割を占めています。
JRの線路を舐めて鉄分補給する生態があるので、しょっちゅう線路内に出没しては列車と接触して遅延の原因になってます。北海道に住んでると日常茶飯事です。ローカル線はもちろん札幌圏の通勤通学路線にも最近はよく出没するようになってきました。
そして列車に轢かれて天に召された🦌に更に別の野生動物が群がってきてまた列車と接触の危機となる悪循環………
年々増え続ける鹿などの野生動物による損害とどう向き合っていくのか、いち道民として考えていく必要があるなと感じさせられてしまいますね………


稚内を後にして昨日来た道を南下
旭川運転所で偶然見られた元SL列車用の旧型客車
昨日と同じ車両だったので写真は割愛


宗谷岬から再び稚内駅へ戻り、すぐに特急サロベツで昨日来た宗谷本線を南下。
本日の宿泊地を目指して旭川駅へ。

本日の宿泊地へ向かう列車はこちら
キハ183系特急大雪3号
『おおゆき』ではなく『たいせつ』です
元おおぞら用の車両
座席や床面はキハ283と同様のもの
地味にフットレスト付き


特急大雪3号に乗り石北本線で網走へ。
今年(2023年)の春に全国のファンに惜しまれながら引退したキハ183系に乗車しました。
道内最後の国鉄型特急車両でした。

このキハ183系、車両のバリエーションが豊富すぎて実際に乗車する時になるまでどのタイプの車両が来るかわからないという、ファンの間では『沼』として有名な車両でもありました。
一つ一つ説明してると大変なことになるので(というか私もそこまで詳しくないので)、今回乗車した車両についてのみ軽く解説を………

座席や床面の模様が当時帯広・釧路方面で運用されていた特急おおぞらのキハ283系と同型の仕様となっている車両でした。

特急おおぞらのキハ283の車内はこちら(別日撮影)

まぁ鉄道趣味の人以外には何のこっちゃって話なので程々にしておきます。やるなら別で記事作ってそこで書きたい放題すると思います。たぶん。


網走駅到着
すでに外は真っ暗


旭川から約3時間50分程で網走駅へ到着。
日が落ちて真っ暗な山の中をひたすら北東へと進むだけの時間だったのでとにかく退屈で退屈で疲れ果ててしまいました………
石北本線も色々見所のある路線なので、景色を楽しみたい方は日中の明るい時間帯に乗ることをおすすめします。
網走に着いたのは21時頃。駅の目の前のホテルを予約しておいたので即チェックインして食事と入浴を済ませてオフトゥンに飛び込みました。さすがに疲れてました………

翌日は比較的遅めの時間帯から動き始められる旅程を組んでたのでゆっくり休めました。

………まさかあんな事になってしまうとはこの時思ってもいませんでした。

〜3日目に続く〜

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