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アイルランドにてコリアンの彼と心臓を捧げ合う

シンジャァ ウゥ パァ チョ!!!!

右手に力を込めながらそう言い合った彼は、後に私の人生を大きく変える人になるとは当時は露程も思わなかった。

人は、いつどこで会う人が自分の人生に大きく関わるのかわからない。私のように、もう会えなくなってからその大きさに気づくこともある。
だから、今まで出会った人たち、そしてこれから出会う人たちとの繋がりを、大切にしようという気持ちを込めてこれを綴る。


彼との乾杯は私たちが近づいた証であったのに、同時に私たちの最後の思い出にもなってしまった。


社会人3年目も半分が過ぎたある年の11月、私は短期留学のためにアイルランドの首都ダブリンに来ていた。
短期留学、といっても本当の目的は“観光”だ。
少し詳しく言うと、私は小学生のころから「ダレン・シャン」という本が好きで、その作者の出身地アイルランドを、いつか訪れたいと思っていた。いわば「聖地巡礼」。
それが今回、新しい仕事に就くまでに時間ができたので、短期間だが“留学”という名を借りてアイルランドで生活することにした。

もともと人見知りで社交的ではない性格も相まって、外国で人と話すのはとても疲れた。特にホストマザーやフランス出身のルームメイトは、ヨーロッパという国柄なのだろうか、よくしゃべる。私は日本語ですら言いたいことを口から出すまでに時間がかかるというのに。
私が言葉を選んでいるうちに会話が進んでいたり、私がやっと話せたと思っても途中で言葉を被せてくる状況に、10年越しの夢を叶えるためにアイルランドに来た私は早速心が折れそうになっていた。

そんな中、私が初めて「もっと英語をしゃべりたい」と思った相手が、同じクラスの韓国出身の男性、ジェフリーだ。
彼は私より3つくらい年上で、頭の両脇を刈りあげて頭のてっぺんに残る髪をワックスで後ろに流していた。背が高く、ダブリンで柔道をしているらしいその鍛えられた体からは逞しさも感じられたが、垂れた小さな目は可愛らしい。本当はイギリスに行きたかったけどビザだかなんだかの抽選が外れてここになったそうだ。

私がクラスに入って数日後、彼からの誘いで一緒にランチをしたときに、彼がホストマザーやルームメイトとは違うということに気がついた。
言いたい単語が出てこず何度も「ah…」と繰り返す私を、彼は頷きながら待ってくれるのだ。それが嬉しくて、私は誰にも話していない自分のことを、精一杯の英語で伝える。彼はどの話も笑顔で頷き、ときにオーバーすぎるリアクションも取りながら、私に心地よさを与えてくれた。

その後すぐのアクティビティで「モハーの断崖」に行ったときもそうだった。
仲の良い子同士でバスの座席が埋まる中、1人窓の外を見ていた私の隣には彼が座り、先日と同じように私に心地よく会話をさせてくれた。いつしか車内が私と彼の声だけになっていたのは、お互いの好きな漫画やアニメの話でかなり盛り上がったから。

中でも忘れられない話題がある。
隣の彼がふいに「ねぇ、日本語で何て言うの?」と、右拳の小指側を左胸に当て、知る人ぞ知る、駆逐するために命をかける人々のあのポーズを取りながら、私にこう尋ねた。

あっ・・・・!!!

私もその作品はとても大好きだから、海を越えた向こうの出身の彼がその作品を象徴するポーズを取ったことに私の中の私の血が騒ぎ、足元から熱い波がぞぞっと押し寄せてきたように一気に体が熱くなった。
興奮を抑えられない私は、バス車内に響き渡る声で、彼と同じように右拳を左胸に当てながら、こう叫ぶ。(どや顔)

「心臓を捧げよ!」

直後にものすごい勢いでパァっと顔を輝かせた彼は、よっぽどその日本語が知りたかったらしい。

2人で何度もその言葉を繰り返し、彼が「シンジョウヲササゲヨ!!」(どや顔)と言えるようになったときは、嬉しさのあまり二人とも左胸をたたきまくった。エルヴィン団長も驚く捧げっぷりだ。


そして私は同じことを彼に尋ねる。

「シンジャァ ウゥ パァ チョ!!!」

彼の表情もまた得意気だった。


まさかアイルランドで心臓を捧げ合うとは思わなかったけど、好きなものがあれば、国境も国籍も何も問わずに親しくなれるって、こういうことか。日本カルチャー万歳!
ありがとうエレン!ありがとう梶くん!!



その後も彼と交わす英語は尽きなかった。

本当に、楽しかった。

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帰りのバスでも盛り上がった私たちは、彼の誘いで翌日2人で出かけることにした。

行き先は「ギネスストアハウス」。
そう、ここはあのアイルランド名産の「ギネスビール」の工場見学ができる施設で、ダブリンに来た人は必ず訪れるという名所中の名所だ。
私もずっと行きたいと思っていて、この日も途切れることのない会話をしながら一度来たことのある彼について施設を上った。

順路の最終地点となる最上階にはバーがある。
360°ガラス張りになっていて、ダブリンの街並みを見下ろしながらギネスビールの試飲(と言っても、日本の中ジョッキより大きい1パイント568ml!)ができるのだ。

ギネスビールは、8割ほど注いだら泡を落ち着かせるために119.5秒待ち、そのあと再度グラスの上縁まで注ぐという特徴があって、そこで初めて私たちに静かな時間が流れた。これもまた悪くはない。


そうして、昨日とは違い今度はグラスを手にした右手に力を込めて、日本語で言う。

「「カンパーイ!!!」」

ギネスビールは、とても美味しかった。


独特の苦みとまろやかさの後にコーラのような味のするビールを口にしながら、目の前の彼をこっそり見る。

心臓を捧げ合ったときから、いや実はもっと前から、私は彼の姿を見ると目で追うようになっていた。
彼はとても優しいし、何より一緒にいて楽しい
こういうのを"特別な気持ち"と言うのだろう。

それによく考えると、私たちが一緒に過ごすときは、彼が始まりだった。
いつも隣にいる彼の態度を思い返すと、彼もまた私と同じ気持ちかもしれないと考えても自意識過剰にはならないだろうし、それをほぼ確信したのは、彼がポケットから自分のスマホを取り出し私に向けて「可愛い」と日本語を言いながらシャッターを切ったからだった。

いくら国が違っても、人が人の写真を撮るということは、そう簡単にあることではないと私は思っている。
私の場合、目の前にいる人の写真を撮れるのは、相手が恋人のときだけ。
だから、私たちの気持ちは、きっと重なっていた。

―――彼と特別な関係になったら、もっと楽しいかもしれない。

私は一瞬そう思ったけれど、私はアイルランドに来た目的を思い出した。「聖地巡礼」なのだ。
短い滞在期間に街を巡るには1人の身軽さが必要だと考えた私は、それから彼を拒んでしまった
何も言わず、ただ避けるように。

その結果、私たちの心が密かに近づいたのもその日だったのに、私たちの思い出の最後はこのギネスビールの乾杯になった。


彼と過ごした時間はほんのひと時で、それはまるで1年の大半が曇り空に覆われるアイルランドから見える晴れ間に似ていた。

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いつの間にか彼の連絡先が消えていたのに何とも思わなかったのは、私と彼は「アイルランド」で「英語」を通さないと、仲良くなれなかったと気づいたからだ。

”彼はアイルランドで出会ったクラスメイトの一人に過ぎない。”

そう思っていたのに、しかし最近、考えが変わった。


アイルランドから帰国後、せっかくしゃべれるようになった英語を忘れないようにしようと、私は日本人向けの英会話サークルに入った。

そのサークルで、隣の席にいた人が、夫だ。
(私の夫への第一声は「Nice too meet you! I’m from Japan!!!!」で夫をポカンとさせてしまったのは今でも笑い話になっている。)

そんな、病めるときも健やかなるときも一緒にいると心臓を捧げ合った夫との間に生まれた、心臓を捧げるどころか例え私が人間以外のものになってしまっても絶対に守り抜きたい娘は、もうすぐ1歳になる。

私が今、こうやって大切な家族と過ごせているのは、アイルランドに行ってある人と出会い、億劫だった英会話を楽しいと思えたからだ。
心臓を捧げ合って、ギネスビールで乾杯した思い出だけの彼。



私は今、悔やんでいる。
ギネスビールの乾杯のあとの私の態度が、彼を傷つけてしまったのではないかと。
彼は何も悪いことはしていないのに、私が何も言わず拒んでしまった。
都合のいいことに、彼が私の人生に関わっていると気づいたら、急に彼の存在が大きくなってきて。何を今さらと言われそうだけど。

彼には一緒にいられない理由をはっきりと伝えるべきだった。
そしてできれば、私の気持ちも。

しかし、そんな後悔は、遅い。


人は、いつどこで出会う人が自分に大きく関わるのかわからない。

それは共に過ごした時間の長さには関係せず、

一度しか会えないような人かもしれない。

あとからそれが大事な人だったと気づくこともあるけれど、

大事な人ほどもっとこうすれば良かったと後悔するのは結構しんどくて。

だから、どんなときも、自分の思いを自分の言葉で相手に伝えることをためらってはいけないと思う。





本名も連絡先も分からない、もう二度と会うことのないコリアンの彼に、もし、どこかで、一瞬でも私の声を届けることができるのなら、私はこう伝えたい。

あなたと交わした英語が一番楽しかった。

一緒に心臓を捧げてくれてありがとう。

と。


そして、いつか二人でまた、ギネスビールを片手に・・・おっと、日本には、キリンビールという、世界に誇る美味しいビールがあるんだ。近所にある横浜のキリンビール工場は、ギネスストアハウスに負けないくらい面白いエンターテイメントを味わえるから、今度は私が案内するね。そして見学後に、私たちの思い出の続きを作るための乾杯をしよう。日本はきっと、青空が広がると思う。


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そして。

せーのっ



シンジャァ ウゥ パァ チョ!!!!!



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