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隣の町の閉鎖病棟

楽しくないお話を。
重たい内容もあるのでメンタル不調な方はお引き返しくださいませ。





今でも時々考えてしまうのだ。
アル中の同居親族をもう少し早く病院に連れて行けたら、もっと母は生きていられたのかな?と。

かれこれ25年位前から私は母の実の弟妹(つまり、叔父や伯母にあたる)と同居生活をしていた。

始めは伯母と二人暮らし。
過疎が進む故郷の地方都市では車の無い生活だし仕事も老後の医療も期待できず、この街で一緒に暮らそうよと私から誘った。

ちっちゃい頃の写真は母が虚弱だったこともあり、伯母におんぶされている写真ばかり。
私を甘やかしてくれて、二世としてしんどかった思春期の心の支えでもあって、半分母親みたいな存在。

伯母はおしん並みに苦労した生い立ちだったけれど、手に職があるからきっとすぐ仕事が見つかるはず!と信じて、今も大好きなこの街に老後を託し新生活をスタートした。

ふたりで平和に暮らしてたその二年後、故郷の叔父も家庭内の問題を抱えてしまい立派な家も手放し無一文になりひとりきり途方にくれていた。大手企業を退職しタクシー運転手をしていた。

伯母と相談し、しばらく私達で生活費お世話するからこっちに引っ越して仕事を探しては?という話になった。わたし24才、伯母57才、叔父52才くらいだったと思う。

そしてなぜか母も同居する顛末があり(いずれ別記の予定)家賃6万円の古い3LDKのマンションで四人暮らしが始まったのだ。

私、叔父、伯母が働いて母がみんなのご飯の支度をする、というバランスで続いていた生活。

そんな中2008年に叔父が脳内出血で倒れる。
退院後、左に麻痺は残るがパート扱いでなんとか仕事に復帰した。

続く2009年には伯母が脳腫瘍で輸血を伴う大手術をした。
伯母は65才で退職し年金生活に入ってまもない頃。
誕生日の2ヶ月差で、障害年金はもらえないということだった。

こうして、主に母が叔父の介護、私が伯母の介護をする、という生活に変わっていく。
ほぼ在宅ワークとはいえ24時間目が離せない時期もあって仕事との両立が難しかった。

もともと毎日晩酌するタイプだった叔父は、脳卒中をきっかけにタバコこそ止めたものの、隠れてまたこっそりお酒を飲むようになった。2015年くらいには認知症のような症状も出始め、日常生活が混乱してゆく。

叔父は通勤途中に転んで救急車で脳外科に運ばれたりもしたが、アル中という理由だけでは入院させてもらえるわけもなく、母と情報収集、相談を重ねる毎日になる。

ふらふらしながら出勤する姿に不安を感じ、後ろをついていったこともあった。
それでも会社は叔父を首にしなかった。上司にもアル中なのはバレていたけれど仕事自体はなんとかこなしていたようだ。

アルコール依存症の受け入れ病院を調べたところで、本人に自覚がない場合連れて行くのがどんなに困難か思い知った。
ちょっとした骨折でもしてくれたら、その流れで転院させられるのに!といつも母と願っていたものだ。

そして地獄のような日が続きもう無理だとなった2017年の秋、連れていった救急病院からアルコール依存症対応プログラムがある病院に転院が決まった。
精神科病院は何件もある街なのに、空きがなくて、よりによって隣町の病院に入院することになった。それくらい依存症患者は溢れているのだ。

鍵のかかったエレベーター、二重の入り口、廊下の臭い、喧嘩を止める看護師の声、忘れられない。
薬物依存症、アルコール依存症で病棟の9割の人が生活保護だった。
退院してもほとんどの人がまた戻ってくる世界。
どんなに立場のある人でさえストレス解消のお酒で量を間違えてしまうと壊れてしまう。

毎週片道90分の道程は憂鬱。
地下鉄に乗って、都市間高速バスかJRに乗って、路線バスに乗り換えて…
身内が入院するのは、決まっていつも厳しい冬。

自由ってなんだろう、生きるってなんだろう。
窓景色を眺めながらあの頃聴いていた音楽はほんのちょっぴりトラウマのまま。

こうして虚弱でありながら何年間も休みなく介護し世話し何の自由もなかった母は、叔父の入院をきっかけに72才でやっと自分の時間を手に入れた。ほんとうに、やっと。

だが遅すぎたんだ。

ずっと腰が痛くて整形外科に行かなくちゃ、と言っていたその痛みは末期癌のものだった。

叔父も母も入院して、どちらにも通わなくちゃいけなくて目まぐるしい日々。
わけがわからなかった。
ステロイド治療で人生で体重がピークになった時期でもあった。

緩和ケア病棟に入ることを望まなかった母の気持ちを尊重し、最期はひとりで大変だったけれど在宅介護で看取りました。
訪問診療の先生、看護師、ケアマネさん、みんな能力が高く素敵な方々でいっぱい助けてもらったな。

読ませてしまっても誰の得にもならないけど、なんだか悔しくてやりきれないので具体的なエピソードをこれからも書いていくつもりです。

思いついたことぐちゃぐちゃ書きましたが推敲しないでポストします👉

二世としての過去と介護問題、まだまだ続く
明日は施設の伯母におやつを届けてくるよ♪

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