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自分を特別と思いたいとき、私は学ぶのを放棄する

学ぶのが嫌いなんじゃなくて、学ぶのがこわかった。

自分が特別だとおもいたくて、井の中の蛙を選んでいた。知らなければ学ばなければ新しい知見を得なくてすむし、新しい世界を知らずにすむ。

「わたしはそれをもうやってる!」とつっぱねることでどうにか自分を保とうとする。

自分の土壌を自らでカラカラにする。

カラカラにさせていくわたしに、
数年間ずっと、何人ものひとが何回も水を与えてくれた。

自分を干からびさせようとするのを終えた今年はじめ。
今まで与えてもらった分が湧き出てきて一気に満たされた。

土壌が水で潤うと、種をまくのも楽しいかも、やってみてもいいかもと思えた。

そして、この本を手にとれた。


数ページ、読んでよかった。
わたしのつくってきたものはつくってきたものとしていかしていきながら、世界を広げて、わたしの近くにいるひとたちの見えている見られたがっている世界を描こう。役に立ちたい、恩返しの番だ。そう思えた。

専門職としてやっていくのに、学ぼうと意欲がでない自分に悩んだりしたときもあった。
でも今ならわかる。こわかったんだなぁと。自分を認められていないなかで他を知るのをおそれたんだなぁと。
怠けたいんじゃなかったんだー。

昨日水を与えてくれた友人のひとりと話して、数年前に言っていた自分の言葉を内にいれられる状態になったのかとしみじみと。

#ひとりひとりの物語り

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