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おじいちゃんと料理

30歳まで料理をしたことがなかった。
食べることは好きだったけれども、作ることには全く興味が持てなかった。
母と住んでいたので、母が全部やってくれた。それが当たり前だと思っていた。
料理は面倒くさい、自分には向いていない。
そんな思いしかなかった。

おじいちゃんの調子がよくない。
お盆を過ぎたころ、同居している伯父夫婦から連絡があった。今までもそういうことが何度かあったが、何だか今回は違う気がした。
「家に帰りたい」
しばらくして、入院していた祖父がそう言った。そして家での療養が始まった。

家での療養は大変だった。母も度々手伝いにいくようになった。伯父夫婦の苦労にはおよばないが、手伝いを終えて帰ってくる母は、明らかに疲れていた。

夕飯ぐらい作ろう
それは母の負担を減らしたいという思いの他に、祖父のために出来ることをと考えた結果だ。
私は祖父のことを尊敬していた。祖父のために何かしたい。
ただ日中働いている私に、療養の手伝いは難しい。そもそも私が行っても、足手まといにしかならない。そうなると、実際手伝いをしている母のサポートをすることが、祖父のために一番なる。
「夕飯を作ろう」はそういう思いがあった。

とはいっても、何を作ろう。
包丁を握ったのは数えるほどしかない。
最後に切ったのはきゅうりの輪切りだ。きゅうりだけじゃ、お腹いっぱいにはならない。
まずはご飯だ、白米を炊こう。

毎日食べているくせに、自分で炊いたことはなかった。そもそも炊飯器の使い方がよくわからない。お米の研ぎ方は何となく知っていたけれど、家にある炊飯器の使い方を知らない。
私の料理作りはそこから始まった。

最初はレトルトのハヤシライスを温めるのも、一苦労だった。レンジで温めようとしたが、レンジの使い方がよくわからなく諦める。湯煎で温めたら、取り出すときに熱くて火傷しかけた。
レトルトのどこが簡単なんだ? 不器用な自分に嫌気がさした。

何か作れるものはないかと、母が持っている料理本をめくってみた。美味しそうな献立がいっぱい掲載されているが、どれも出来る気がしない。しかも献立をレシピと呼ぶのも、この時初めて知った。
自分に出来るレシピがないかめくっていると、よく出てくる言葉に気が付いた。
だし、ダシ、出汁、そう「だし」だ!

でも「だし」って何だろう?
「おだしが効いて美味しい」とよく言うけど、そもそも「だし」ってどうやって作るの? そして「だし」ってどうやって売っているの?
何も知らない私は、当たり前のように書いてある「だし」につまづき、「だし」と書いてあるレシピはスルーするしかなかった。

祖父は家に戻って、3ヶ月程で生涯を閉じた。
「最期は少しだけ家族にお世話になって、家で死にたい」
元気な時によくそう言っていた祖父は、望み通りの最期を送ることができた。まさに有言実行!
おじいちゃんはスゴい!
尊敬の気持ちはますます深まり、料理を始めるきっかけも与えてくれた。

祖父が亡くなって15年ほど経ち、料理もだいぶ手際よく出来るようになった。失敗もするが、冷蔵庫の残り物で献立を組み立てられるまでに成長した。
去年の緊急事態宣言下では、今まで敬遠していたお菓子作りも始めて、簡単なパウンドケーキくらいなら、スキマ時間を使って出来るようになった。

料理を作ることは、食べることへの姿勢を変えた。
食材を買うことで、物の値段を知ることができ、経済や社会に興味を持つきっかけにもなった。
もともと無駄にすることが嫌いな私にとって、購入した食材をいかに美味しく使い切るかは重要だ。そのため簡単で美味しく出来るレシピを調べることが、結果的にレパートリーを増やしていくことへとつながった

そして料理を作ってくれるという行為に、何より感謝の気持ちが生まれた。
いつも手際よく出来ればいいけど、そうはなかなかいかない。疲れて作ることが面倒くさかったり、献立が浮かばなくてイライラしたり。頑張って作ったのに、残念な味になってしまったり。
料理を作るって手間がかかって、ありがたいことなのだ。
だから私のために作ってくれた人に、ありがとうと感謝して食べられるようになった。

そして何よりも、料理を作るきっかけをくれたおじいちゃん、どうもありがとう。

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