『ナルニア国物語』から読み盗った3つのこと
みなさん、こんにちは。
今回は、出口治明 著『教養は児童書で学べ』で紹介されている『ナルニア国物語』から読み盗りました。(「能動的な読書」を目指しておりますので、「読み盗(と)る」というアグレッシブな言葉を使わせてもらっています。)
本書の概要
『ナルニア国物語』(原題:The Chronicles of Narnia) は、イギリスの作家 C・S・ルイス作のファンタジー小説です。全7巻からなり、今から70年以上前の1950年に第1作「ライオンと魔女」がリリースされました。ナルニア国という魔法の世界が舞台です。本書は、ナルニア国を救う子どもたちの大冒険物語です。
では、『ナルニア国物語』から読み盗った3つのことを書いていきます。
まず1つ目は、
①童話が宗教観をつくる
ことです。
『ナルニア国物語』を童話と呼んでいいのかわかりませんが、「子ども向けに書かれたお話」ではあると思います。
ナルニア国は「アスラン」という男前ライオンによって造られたという設定です。作中でアスランは復活し、こう言います。
裏切りをおかしたことのない者がみずから進んでいけにえとなり、裏切り者のかわりに捧げられた場合、〈石舞台〉が割れて、死は時をさかのぼる
このような設定や発言から、ナルニア国物語はキリスト教に精通していると感じました。そして、アスランというキャラクターのイメージはイエスと結びつき、子どもたちの宗教観を形成していくと思いました。
翻って、日本の童話を考えてみると
・ももたろう→吉備津神社
・うらしまたろう→浦嶋神社
・かさじぞう→お寺の六地蔵
のように、後付けであったとしても神社仏閣と関わりのあるものが少なくないと思います。
童話が宗教観をつくることがある と読み盗りました。
続いて2つ目は、
②スイーツは強力である
ことです。
ナルニア国には「ターキッシュ・デライト」という、ふわふわもちもちの美味しいお菓子が存在します。
エドマンドという男の子を洗脳するために、魔女はターキッシュ・デライトを使います。
ターキッシュ・デライトは食べれば食べるほどもっと食べたくなる味で、女王がなぜそんなに根掘り葉掘りいろいろと聞きたがるのか、エドマンドはもう不審にさえ思わなくなった。
エドマンドはターキッシュ・デライトの虜になり、悪の権化である魔女に操られ続けます。
魔女は強力、スイーツはもっと強力 と読み盗りました。
砂糖の恐ろしさを伝える映画『あまくない砂糖の話』の本編映像をシェアいたします。スイーツではなく飲み物について語られていますが、考えさせられました。
最後の3つ目は、
③自分も勇気だそう
ということです。
ナルニア国物語の主人公たちは、小学生から中学生くらいです。自分の小学生の頃と彼らを比べると絶望しかないので、小学生時代と今の自分を比べます。
するとたぶん、できることはかなり増えています。ただ、できないと思うことも増えました。そして何より、できた自分に合格点を出すことがなくなりました。
この本に登場する子どもたちは、みんなたくましく勇気をだして悪に立ち向かいます。
できることはすぐに増やせないかもしれません。でも、できないと思う、できた自分に合格点を出す、それは考え方の問題な気がします。できたと思うハードルを低くすることも、ひとつの勇気かなと思いました。
自分も勇気をだして行動すべし と読み盗りました。
まとめ
『ナルニア国物語』から読み盗った3つのこと
① 童話が宗教観をつくること
② 魔女は強力、スイーツはもっと強力であること
③ 勇気をだして行動してみること
今回で『教養は児童書で学べ』のシリーズは最後となりました。皆さまからのスキがとても励みになりました。感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。
では、またです。
貴重なお時間をありがとうございます。よき時間となりますように。