私というキャラクターで遊ぶ♪
この身体は私じゃなくて、それに気づいてるやつが本当の私なら、この身体は一体何なのか。
確かにこの身体の中に私がいるような感覚はするのに…
それが、まさしくエゴの基本的な働きです。
「ここに1人の個人、他の人とは違う私という別個の人間がいるという感じがする」
もっと簡単に言うと、身体によって自分と他人を分けてみるような感覚があること。
その感覚こそがエゴの正しい働きです。
別に本当の私の正体に気付いたからって、エゴの働きが消える訳ではありません。
だって、自分と他人を区別できなかったらこの世界で生きていけませんからね♪会話が出来ないでしょう。笑
ゲームで言うと、ゲームの世界を作って、ゲームをプレイしているのが本当の私。気付きです。
そして、画面の中にいるキャラクターがエゴちゃんである私です。
本当の自分は、このゲームの中の1キャラクターを操作している立場なのですが、いつの間にかそのキャラクターを本当の自分だと勘違いしちゃって、慌てふためいちゃってたんですね。
「え、操作されてるのがこの身体…?じゃあエゴの私は何もしてなかったってこと?」
ってなるんですが、実はそうでもない。
エゴの私にはすごい能力があります。
それは「認識を変更できる」ということです。
どんな認識かというと、
・起こった出来事に対する捉え方(考え方)を変更できる
・思考の向け先を変えることができる
・そして「気付き」の視点に立つ事ができる
最後の「気付きの視点に立つ」っていうのは、気付きはエゴじゃないので正しくはエゴちゃんの能力ではないんですが、まぁでも、切り替えられるという意味ではエゴがやってると言ってもいいのかな、と思います。
と言うわけで、私たちエゴちゃんは「認識変更」という能力を使ってこの世界を存分に楽しむ事ができるのです!
なぜならエゴの自分が世界をどう認識するかが、自分の世界を作っていくからです。
ゲームの世界の詳細を作ってるのはエゴちゃんではありません。全知全能のゲーム作者、プレイヤーである私が世界の作者です。
でも、エゴちゃんも無力ではありません。
私は人生はエゴの私と本当の私の共同作業だと思っています。
たまにエゴには自由意志はないとか、選択がないって言う人もいるのですが、
そもそもエゴはあるんですから、自由意思も選択もあっていいんですよ。
「他の人とは別の、私と言ういち個人がいる感覚」
「選択をしているという感覚」
これはあっていいんです。
そのエゴというキャラクターで遊んでるんですから、私たちは♡
ただ、エゴが本当の自分ではないと認識できるだけで、ずいぶん楽しくラクで心軽やかに生きることができます♪
それを巷では“悟り”と言いますが、まぁ別にそんな事は知ってても知らなくてもどっちでいいんだけど
知ってた方がより自由で楽に生きれるので、これを求める人はいつの時代もいるのかなぁと思います。
とくに、自分でハードモード設定したはいいものの
エゴから抜け出せなくて苦しみのループにいる人はこの事を求めがちになると思います。
よく霊性の高い人はより苦労を体験してきてるっていうのはそういう事です。
でも、ただの自作自演ゲームなんで、すごくも偉大でも何でもないです。笑 霊性の高い人なんていません。皆んな一緒です。気付きの度合いが違うだけです。
気付いて良かったね、って感じですね♪
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