ときめいていますか?-情報多可な時代をゆるっと生きる方法-

~気が向いたときのゆるっとnote~

こんにちは、ふうりです。今日もゆるっとnote、見に来ていただいてありがとうございます。

今日のお題は「手をかけてあげるというときめき」
結論は「自分がどう生きるかは、自分のときめきを知ることが大切だよね」というところに収めたいと思います。

情報多可な現代、手に入れている情報はたくさんあるのに、自分の幸せな生き方がよくわからない。

そんな方の考え方の参考になると幸いです。


少し前の話になります。私は本屋である料理研究科の方の本をパラパラとめくっていました。

その本の著者はお歳を重ねられている方で、素敵な表紙に惹かれてなにげにパラパラ。

その中のあるページで目が止まります。

「里芋は、手をかけてあげるとおいしくなります」と書かれたページ。

以下、手のかけ方を詳しく書きますね

里芋を買う→水で土を落とす→そのまま一晩乾かす→少し厚めに皮をむく→軽く濡らしたキッチンペーパーで汚れを拭く、水で洗っちゃだめ!

一晩乾かしてから皮をむくと、あの独特のぬめりが出ずに里芋はむきやすいんです。その方いわく、あのヌメヌメがおいしい成分だから、外に出してはダメなんだそうです。

そのページを見た私は、その本を即決で購入。ついでに里芋を買って家に帰り、すぐに試してみました。あのときの里芋の煮っころがしは、私史上最高においしくできたと思います。今も里芋は毎回この方法を使って調理をしていますが、手をかけてあげると里芋がなんだか美しく見えてくるから不思議です。

なぜあの本に惹かれたのだろう。考えていると、2つピンとくることがありました。一つはこんまりこと近藤麻理恵さんの著書「人生がときめく片付けの魔法」の中に出てくる「ときめき」という言葉。そしてもう一つは私のインプットしていた情報の内容です。

突然ですが、みなさん最近ときめいていますか?よくCMとかで言われそうなセリフですが、実際自分の関わりの中で「ときめき」という言葉を使用している人を、おとなになってから見たことがありません。

だからこそ、こんまりさんのメソットに出てくる「ときめき」という言葉は、あの本を読んで数年たっている私にも強烈に根付いています。そして密かに憧れている言葉でした。「自分がときめくものに囲まれて生きていたい」なぜかそこにある種の高尚さのようなものを感じていました。

そして2つめは、この情報多可な時代。インターネットを開けば情報は無料でも比較的良質なものが手に入り、誰でも手に入るからこそ、少し休むと「勉強していないだめな人」のようなレッテルを、自分で自分に貼らないといけないというプレッシャー。「お金を稼ぐためには」「幸せになるためには」「成功するには」そのような情報が、雪崩のように自分の中に入ってきては、やってみて、でもなんか続かなくて、そしたら「続けられない人は成功しない」のような情報が目について・・・の繰り返し。

断っておくと、情報発信者を攻めるは意図は一ミリもありません。各自の正義で発信をしていることはすばらしいし、時代をうまくつかうことは生きていく知恵だと思っています。あくまで受け取り側の問題として、私はいつの間にやら「お金を稼ぐこと」「楽に生きるコツ」「効率よく人生を進んでいく方法」「幸せになる方法」こそが、この世界で幸せに生きていくために必ず必要なスキルだと、必死になって情報を取り込んでいました。

そんな背景の中「里芋に手をかける」という言葉を見たときの、私のあの感情。

あれは間違いなく「ときめき」でした。

「手をかけてあげたい」「丁寧に扱いたい」「ゆっくり愛でてあげたい」そんな気持ちも湧き上がりました。

ホットクックやヘルシオを使えば、時間短縮で料理ができます。もっと言えば、スーパーで売っている里芋の煮っころがしは、もしかして私が作るよりもおいしいです。栄養を考えたら、多分時間をかけるところは里芋のヌルヌルよりも栄養バランスを勉強するとか、そういうことなのかもしれません。

でも違うんです。私は里芋を食べるために時間を作って、丁寧に扱った里芋を食べたい。もしおいしくなかったら、おいしくするにはどうしたらいいか考えたい。そう思ったんです。そしてそういうことが私の「ときめき」で「やりたいこと」だったんだなと、その時なにかストンと腑に落ちました。

気がついたきっかけはたまたまパラパラとめくっていた料理研究家の本。普段は見ない本の表紙が、なんとなく素敵な生き方をしていそうな方が写っていたというだけのきっかけ。何かしら惹かれるものがあったんでしょう。引き寄せの法則でしょうか?ww

コーチングの勉強をしていた頃、「人は同じ単語を見ても、自分になんとなく当てはまったりやる気になる単語は人それぞれ違う」という内容を見たことがあります。あれはもしかしてときめきという言葉に当てはまるのではないか?と今は思っています。

それから情報として取り入れるものの質と量が変わりました。何人も登録していたVoicyの発信者さんは、自分が聞いていて心地いいときめきを下さる3人にしぼりました。そうして空いた時間は圧倒的に自分との対話の時間にあてます。何が好きで何が嫌いか、教えてくれるのは世の中の情報ではなくて自分自身。それがよくわかったからです。

必要だと思う情報は、本から取り入れるようにしました。積読本はすべて売って、必要な時に必要な本を購入または図書館で借りるようにしました。これが案外ハマりました。頭に情報がスラスラ入る。興味があることばかりだから、時間をわざわざ作らなくても暇さえあれば本を開いて楽しく読める。

まあでも、今の私は多分世間で言う「情弱」なんだろうなww

今の自分に必要なものを一番知っているのは自分自身だと言えるようになったのは、ときめきに焦点を当てる心地よさを知ったから。

これは大きな進歩だったなと思っています。

というわけで、今日の結論は「自分がどう生きるかは、自分のときめきを知ることが大切だよね」につなげることができました。

この話がどなたかの参考になるといいな。

ではでは、お後がよろしいようで。

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