私の単位戦争2
留年
ネットの学生単位情報のサイトを見ながら、
愕然とした。
4回生に上がると同時に研究室に配属される。
その配属先は学科の掲示板に掲示されることになっている。その配属掲示に名前が載っていない者は「留年」確定なのである。
私は成績発表されるまで、S教授の忖度を期待して単位があると信じ切っていた。
そのため3/1に成績も確認せず、配属掲示も確認していなかった。
3/1就活解禁ということで、のんきに就活準備をしていた。
3/1午後、同級生からのLINEで留年ということに気づいた。
「配属先の掲示に○○(本名)の名前無かったけど、どしたん??笑」
そのLINEが無ければ留年という事実にに全く気づかなかっただろう。
ネットで自分の成績表を確認して、ようやく愕然とした。
成績をよく確認してみると、専門科目はバッチリ単位が取れており、「フィリピノ語」1単位だけ落としていたのだ。その1単位で留年が決まってしまった。
ご存知の方はいないと思うのだが、フィリピンではフィリピノ語(タガログ語)に加え、英語を使用している。
実際、講義においても簡単な名詞はフィリピンなまりの英語が登場する。
フィリピノ語じゃなくて英語使えばいいやん!!!
フィリピノ語の存在意義が薄すぎる。
そんなフィリピノ語を1単位落とした私。
本当にバカだ。
*
愛大には成績が発表されてから1週間(だった気がする)、成績にいちゃもんをつけることができる期間が存在する。
もちろん、これは成績優秀者が単位に対する評価を上げるために使用する(「可」→「優」にする)ものだが、留年する側の人間からすれば、蜘蛛の糸である。
すぐさま、フィリピノ語のS教授の研究室へ飛んで行った。
(もちろん研究室の場所はわからなかったためシラバスを引っ張り出して必死に探した)
S教授を前にして、
私「フィリピノ語、不可ですか?」
S「あたりまえでしょう、テストがあんな出来ですし」
やっぱりか、、テストは散々だったようだ。
私「どうにかなりませんか?」
S「どうにもなりませんね、、」
私「まじですか、、、」
S「あなた、結局最後まで頑張ってなかったですよね?私は何回も勉強するよう、チャンスを与えてたつもりでしたが、最後まであなたは変わらなかったですよね?」
つらい、、その通り過ぎてつらい、、、。
毎週講義の初めに、教科書本文のCDをかけてリスニングしつつフィリピノ語の書き取りテストがあった。
初めの方は内容が簡単(自己紹介とか)で誰でもできるのだが、講義が進むにつれて構文が難しくなったり、単語が難しくなったりで全く聞き取れなかった。
そんな中、私は「無理だ、このテストは諦めよう、結局クォーター毎のテストで結果決まっちゃうし」
と早々に諦め、やる気0で臨んでいた。
そのチャンスを全部放棄した私に言い返す言葉すらなかった、、、。
ただ、このまま引き下がれない私はしつこく
私「どうにかならないですか?」
と何回も言い続けた。(しつこい)
このやりとりが1時間ほど続き(長い)、S教授が授業がある、ということでその場は終わった。
また明日行くしかないか、、。
*
明日、S教授を伺ったが不在。
翌日、また足を運んだ。
S「またですか」
私「本当にどうにかならないですか」
S「もし、これで単位を出す、ということになったらテストは何のためにやっているのか、てなりますよね。
それに、今後、頭下げれば単位もらえる教授、となめられても困りますし」
ほんま正論。
言い返すことができない私はとりあえずこう繰り返した。
私「そこをなんとか、、
私にもう一度チャンスをください」
S「あなたの担任の教授に連絡をとって、評判を聞いてみたんですよね、
そうしたら、あなた普段全然真面目にやっていないそうじゃないですか、
担当の教授は落としてもいいんじゃないですか、と言ってましたよ」
死んだ。
終わった。
私の担任の教授との仲は最悪だったのである。
*
それには理由がある。
理系学部ならではの、実験の授業が事の発端だった。
実験ではあるテーマに沿ってグループで実験を行い、その結果をもとにレポートを”個人”で作成し提出。そのレポートをもとに評価が決められるのだが、そのレポートがあまりに厳しい。
4月、実験の方法もままならないまま、最初の実験を終え、レポートをグループのみんなで協力しながら作成、提出した。
その実験担当が私の担任だったのだが、私たちのグループのレポートは全て「盗作」とみなされ、尋問まで行われた。
人生初の尋問!!!
(尋問とか今考えただけでもあたおかすぎるし、何故かそのときスマホのボイスレコーダーで尋問内容録音してた私もあたおか)
その担任の教授曰く、実験はみんなでやるものかもしれないが、レポートは個人のもの。書き方や言い回し、途中計算などを他の人と合わせている者は盗作とみなす。とのことらしかった。
そんなこんなで私と担任の教授の仲は最悪だった。
その担任が言うには「私は不真面目だ、留年しても仕方ない」ということらしかった。
つらい、、つらすぎる、、日頃の行いが悪すぎた自業自得だ、、、
もうどうにもならんな、、、
そう思った時、ふと親の顔が浮かんだ。
留年、と聞いたら絶対怒るだろうな、
たった1単位のためだけに来年の前期の学費を払ってもらうのは、さすがの私でも心が痛かった。
そんなことを考えているうちに、
涙が止まらなくなってしまった、(涙腺ばか)
S「泣かれても困ります、。 」
それはそう。
S「どうにも納得いっていないようなので、もう一度テストすることとします」
呆れ果てたのちの一言だった。
*
試験は明日、10時から、
合格点は80点
早速私は勉強をはじめた。
〜私の単位戦争3へつづく
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